昨今、人の間違いやちょっとした発言を異常なまでに問題視し、激しくしつこく追及する「正義中毒」が日本中に蔓延している。正しいことを求めるのはいいことではあるが、息苦しく感じて萎縮することもある。しかし、それは現代社会だけに特有の現象なのだろうか。
歴史学者の清水克行氏によれば、中世の人々の行動は、現代の私たちの価値観から見ると、過激で一貫性がなくめちゃくちゃだった。だが、彼らの行動原理を解きほぐせば、中世の価値観であっても理解できるロジックがあるという。そして、そのロジックを見出すプロセスを援用すれば、今の社会に対する解決策、つまり異なる価値観を排除せず、共感する糸口を見出すことができるのではないか──と見ている。
中世の日本人の庶民の生き方について書いた『室町は今日もハードボイルド―日本中世のアナーキーな世界』(新潮社)について話を聞いた。(聞き手:柏 海、シード・プランニング研究員)
※記事の最後に清水克行さんの動画インタビューが掲載されていますので是非ご覧下さい。
中世を形成した三つの特質
──本書では、中世において、旦那が不倫した時の妻の対処法について書かれています。中世では浮気された妻が友人を引き連れ、浮気相手の女性の家を襲撃する「うわなり打ち」が一般的だった、と。泣き寝入りをするのではなく、暴力行為や破壊活動に至らしめる原動力はどこにあったのでしょうか。
清水克行氏(以下、清水):「うわなり打ち」とは、平安中期から江戸前期にかけてあった慣習のことです。前妻(古語で「こなみ」)が女友達を大勢呼び集めて、夫の浮気相手や後妻(古語で「うわなり」)の家を破壊し、時には「うわなり」の命を奪うこともありました。
中世の社会の特質は、自力救済、多元性、呪術の三つにあると私は考えています。
「大勢の女性が集まって相手の女性を襲撃する」と言うと、現代の我々にとっては非常に違和感がありますよ。しかし、この「うわなり打ち」のベースには、失われた自分の権利は自力で取り戻すという「自力救済」の考え方がありました。夫を取られてしまったら、自分でケリをつけなければならない。
「妻を間男に取られてしまった夫」の場合も同じです。当時は「妻敵討(めがたきうち)」という、夫が妻と間男を殺していいという慣習がありました。ただ、その場合は必ず二人を「一緒に」殺さなければいけません。もし夫が間男だけ殺してもいいとすると、「お前が妻の間男だろう」と言いがかりをつけて、自分が嫌いな男を殺してしまうという犯罪が起こりかねないからです。
このように、中世の社会では実力行使は当たり前のことでした。過激な「うわなり打ち」や「妻敵討」も、中世社会においては一種の復讐として、当時の社会一般に受け入れられていた慣習だったのです。ただ、「うわなり打ち」がこの時代の女性の強さを表しているかというと、一概にそうは言えません。
夫が浮気をしたら普通、まず夫の不貞が責められてしかるべきだと思いますが、その矛先は夫ではなく浮気相手の女性に向かったのは、なぜでしょうか。