アンゴラ内戦を長引かせた紛争ダイヤモンド
アンゴラの内戦は、紛争ダイヤモンドの存在が初めて世界的に認識される契機になったと言ってもいいでしょう。
ポルトガルの植民地だったアンゴラでは、1961年から独立派とポルトガルとによる独立戦争が始まりました。そして1975年、独立派の中のアンゴラ解放人民運動(MPLA)がアンゴラ人民共和国の独立を宣言するに至ります。
独立したのは良かったのですが、今度は内戦が始まりました。政権党であるMPLAにアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)とアンゴラ民族解放戦線(FNLA)がMPLAに抵抗し、MPLA対UNITA・FNLA連合という構図で内戦が始まってしまいます。これはソ連vsアメリカの代理戦争という側面もありました。大国の思惑に影響された内戦でしたが、一般の人々も多数犠牲になってしまう悲惨なものとなりました。
こうした中で紛争ダイヤモンドの存在に注目が集まるようになりました。
反政府勢力UNITAは、国内の主要なダイヤモンド産地を制圧していました。彼らはそこで採掘されるダイヤモンドを資金源にしていたのです。冷戦構造が生きていた時代には、UNITAにはアメリカや南アフリカが資金援助をしてくれていました。しかし1991年に冷戦体制が終焉を迎えたのに伴いUNITAへの資金援助は途絶えるようになっていたのです。そこで彼らは資金獲得の手段としてダイヤモンドに目を付けたのです。
1980年代後半からは、アンゴラにけるダイヤモンドビジネスの主役はUNITAになっていました。1992年から1994年にかけては、UNITAはアンゴラのダイヤモンド輸出の90%を支配するに至っていました。また1992〜1998年、UNITAは、ダイヤモンドの販売によって少なくとも37億2000万ドルの収入を得ていたといいます。