江戸時代の遊女は、客を歓ばせて虜にする手管として、腰から脚にかけて肌にまとう下着である腰巻が自然に解けて丸裸になったようにみせかける「ふりを付ける」ことで手管を発揮し誘客を魅了した。
江戸時代、遊里では妓が遊んだ客が翌朝、身支度を整えて帰る際に情緒連綿の忘れがたい思い出として「後朝(きぬぎぬ)」と書きしるしたものを客に渡し、後々も重ねて登楼するようにうながした。
妓は御客の心に刻まれることで愛をもらい、また訪客に愛を与えたのである。
日本の着物は、裾が乱れたりしてすこぶる不用心というが、そのためにかえって女らしい様々な動作が起こったり、艶情をそそったりするようないくつかの着こなしも用いられた。
いずれにせよ、これらの女の和服にはいろいろな利点があり、女の肉体美、体格の調和をとって艶姿をつくる上でも機能的かつ計算された服といえる。
人生の3分の1は眠りにある
「衣片敷」時代の歴史は長く、畳が生まれた上代(奈良時代)から 近古(鎌倉時代-室町時代)まで、身分が高く、かなり裕福な邸の寝床であっても眠る時は畳の上に横たわり、昼間着ていた衣服を羽織って寝るのが一般的だった。
戦国時代に入ると衣服に綿を入れた袖や衿がついた「夜着」(掻巻:かいまき)と呼ばれる就寝用の掛けものがみられるようになる。
だが「夜着」から、今日見られるような長方形の掛け布団に形が定まるのは幕末になってからである。
人生の3分の1は眠って過ごす。深い眠りは栄養や運動とともに健康を維持増進するための基本である。
だが夜は寝るためだけにあるのではない。「性愛」こそ、人間にとってかけがえのないものである。
ならば、深い眠りと男女の営み、どちらが重要なのか。
恋と離婚を繰り返し、4度の結婚をした男の回訓・・・。
「私は深い眠りを愛す。私の人生は起きているときにダメになってしまう傾向がある」(アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ、1899-1961)
これまでの連載:
すべての道は厠(かわや)へ通ず:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64397
不貞は自然律、断じられるべきにあらず:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64181
少子化問題を解決する一夫多妻、一妻多夫:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63939
「いのち」は処女の陰毛3本で救われる:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63557
神の性合で創造された「日出づる国・日本」:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63404
実はエロ歌だった童謡「ずいずいずっころばし」:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63164
養生医学の領域にあった男女の和合:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63019
性行為はなぜ「エッチ」と呼ばれるようになったのか:https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62844