島の社交場だった風呂場
「4時に下風呂に行くけん、待っとって・・・」。学校が終わると、そんな会話を交わした。風呂は第二の社交場だった。第一の社交場は学校で、風呂は裸同士の付き合いがあった。島には上風呂と下風呂、31号棟の地下風呂があり、30号棟近くの上風呂は下風呂より狭いものの、山間部に向かう窓があって、明るく一番のお気に入りだった。
61号棟の地下にあった下風呂は大人でも20人近く入れただろう、比較的広かった。銭湯みたいなものだが、お金を払うことはない。炭鉱の共同風呂は、すべて会社が経営しており、お金は要らないが時間帯が決められていた。昼3時から夜8時までだったようだ。浴場の中に「風呂は八時までにはいりませう」という看板があったように思う。
浴場は女性や高齢者と子供たちばかりで、父親たちと顔を合わせることはほとんどなかった。父親たちは鉱員専用の風呂に入ってから帰宅したからだ。3時過ぎの一番風呂から6時過ぎまでよく遊んでいた。仲間と話すのが楽しくて、2~3時間も入っていたものだ。
建物の屋上は、島のコミュニティを語る上で欠かせない場所である。普通の屋上と違ってさまざまに使われた。
当時、屋上の端には、1メートルおきにテレビアンテナが並んで林を形成していた。ベンチやブランコもあった。夏の夕方になると、1人、2人と集まってくる。ギターを片手に歌う者、小学生や中学生、近所のおじさんやおばさんなど、いろいろな意味での溜り場だった。屋上に行くと誰かが居る──。そんな感じの開放感がある楽しい場所だった。
私は屋上近くの部屋の窓から島の建物を見るのが好きだった。屋上に友人を見つけるとそこに行く。見張り台のような場所だった。
夕闇が迫ると水平線に漁火が灯る。島の部屋にも明かりが灯り、遠くからだと巨大な客船のように見えただろう。まさに軍艦島だ。私たちは緑の屋上で、そんな夏の1日をのんびりと終えたのだ。屋上はまたデートの場所でもあった。思春期の子供たちにとって、狭い島のデートコースは屋上と神社くらいしかなく、中でも高い建物の屋上は格好の場所だった。男女交際は開放的だったかもしれない。