時には仲間に八つ当たりもする人間臭さ
「よし、これですぐにバグダッドに向かえる!」とかねてから調達してあったドライバーに、私たちの世話をしてくれていた知人のお兄さん、マフィードさんから連絡を取ってもらったが、合意していたギャランティーでは走らない、と言い出したという。報道で激しい空爆がされているのを見て、完全に及び腰になってしまったらしいのだ。長井さんは激高し、人前でマフィードさんを罵った。長井さん、あかん、それ中東でやったら・・・と止める間もなく、マフィードさんも激高し、非難の応酬。然るべく関係は決裂した。とても親切にしてくれたマフィードさんとはそれっきりになってしまい、とても残念だった。
それからバグダッドに着くまでのことを思い返すと本当にしんどい。アンマンの長距離ドライバーの車溜まりでバグダッドまでの足を長井さんが調達するも、国境を越える前にエンスト。替わりの車が来る前にヨルダン軍に一時拘束され、リリース、その後イラク側国境でインマル(インマルサットM4衛星電話)を没収された。
その役人が言うには「情報省で許可をもらってくれば渡す」。何百キロあると思っとんねん・・・諦めきれずに賄賂を渡してみようと長井さんに提案するも「この人はそういう人じゃないよ」と却下され、通信手段をもがれた状態でバグダッドに向かった(写真送れんがな)。
夜中、空爆の炎を見てビビる運転手。しきりに引き返そうというのをなだめながら車を走らせていたら・・・ハイウェイの横一列にホールドアップして人が立っていたため急停車。向こう側の暗闇に戦車か装甲車がいて銃口がこちらに向いているらしい。マジで勘弁してくれ!
ところが何を思ったのか、おもむろに車を降りた長井さんは、その人たちの前に立って見えない戦車か装甲車に向かって「撃たないでくれ! バグダッドに行かせてくれ!」と叫び出すではないか。マジでマジでまーじーでー!! 勘弁してくれ。バディのその行為に眩暈がしながら写真を撮るも、真っ暗なのでピントの山が全然見えないのだった。
しばらくしてチキチキチキ・・・と履帯(いわゆるキャタピラー)の音が聞こえ小さなフロントライトが遠ざかって消えた。その瞬間、恐怖で固まっていた人々は先に進むことを躊躇なく断念し、脱兎のごとくUターンしていった。我々の運転手も「絶対バグダッドには行かない、アンマンに帰る!」の一点張り再燃。なだめまくって、一先ず近くの村に泊まろうと提案。が、そこは後に泥沼の戦場となる「ファルージャ」だった。その時はただの郊外の村だったが・・・。
民家に一泊し、御礼を渡し、長井さんは相談もなく運転手にバグダッドまでのギャランティーを払い、別のドライバーと車でバグダッドに行くことを決め、ギャラをさらに別で渡すということに合意していた。「だって(怖いというのに運転させるの)かわいそうじゃない」。・・・仕事ってそういうもんでしたかいのう? その何百ドルももちろん割り勘ですかいのう? 数々の疑問が脳裏をよぎったがここで覆すとバグダッド入りがさらに遅れてしまう。私は目を瞑った。
だがバグダッドに到着した時にその元の運転手が現れ「雇ってくれ」とすり寄ってきたのはさすがに開いた口が塞がらなかったのではなかろうか。「怖くて帰ったんちゃうんかー、どの面下げて現れとんねん、シッシ!!」と今度ばかりは私が追い返したのだった。今ならうまく値切って使うかもしれないが、私もまだ若かったのだ。
そんな苦労をしてやっとバグダッドに到着したのに、情報省の一筆をもらって再び国境まで取って返した。その取って返した国境で一緒になった共同通信のKさんはインマルを没収されておらず、事情を聴いたら・・・「ああ、あいつ(インマルを没収した役人)はいつも(賄賂は)50ドルなんだよ」と聞かされ脱力。この往復1000キロ以上の労力と無駄遣い、貴重な日々の浪費(この戦争は決着が早いと言われていて、実際にバグダッド陥落直前であった)はなんだったの。
これまでの逸話で判明している通り、私の知る長井健司さんは直情型で自分の感情に素直で人あたりも良く、疑うということがあまりなかったように思う。ふだんは穏やかだったが、この時のように物事がうまく運んでいない時は八つ当たりした。
バグダッドでプレス証を申請する時に私が証明写真を1枚失くしたと激怒し、「証明写真1枚がどれほど大事かわかってない!!」と私を罵った。これには流石にプチっと切れる音が私の中に響いた。証明写真は2枚必要と聞いていたが、1枚でいいことが判明し、長井さんは余った1枚をその場で私から受け取りポケットに入れた。そして自分が受け取ったことを忘れて私がなくしたと思っていた。嘘つき運転手を信用するのにどうして私のことは疑うのだろうか。