それまで長井さんのことは知らなかった。何となく紛争地を求めてやってきた私と違って、小さなビデオカメラを使って一人で取材していた長井さんは堂々としていて、目的がはっきりしているように見えた(見えただけだが)。「ああ、こういうのがプロなんだなあ・・・」と感じた(全くもって勘違いなのだが)。年齢を感じさせない少年のような柔和な笑顔が印象的だった。

長井さん。エルサレムでファラフェルサンドをほおばる(写真:嘉納愛夏)

長井さんと私とお坊さん

 パレスチナでは長井さんは黄色い袈裟のお坊さんといつも一緒だった。現地に住んでいた日本山妙法寺の僧侶・堀越行清さんである。現地事情に詳しい彼は長井さんの案内役を務めていた。

 彼らはパレスチナの取材から親交を温め、後年堀越さんが日本に帰国してからも友情は途切れていなかった。長井さんがパレスチナの取材を終えて帰国した後、一人で現地に来ていた私は堀越さんとよくつるむようになった。同じ日本人だから気にかけてくれたというのもあるが、彼自身が「ジャーナリスト」という人種を面白がっていた。私の他にも、朝日に雇われたフリーランスカメラマンなどの面倒を見ていた。黄色い袈裟が目立つこともあって、宗教を尊ぶ土地柄のため自分が「お守り」になる、と一緒にいてくれていたのだ。

ジェニン難民キャンプの堀越行清さん(写真:嘉納愛夏)

 さまざまな場所へ取材に行ったが、堀越さんと一緒だとラッキーなことも多かった。パレスチナの故・アラファト大統領の軟禁が解かれた時も、堀越さんと一緒に議長府への坂を走ったものだ。ただし堀越さんは「ゆっくり太鼓をたたいてお経を唱えながら議長府へ歩いてくつもりだったんだよ。だけど愛ちゃんにつられちゃってね」・・・と今も話す。大人になって私のことを「愛ちゃん」と呼ぶのは堀越さんと長井さんだけだった。

イスラエル軍に破壊されつくしたジェニン難民キャンプ 2002年4月21日(写真:嘉納愛夏)