33年で、仏(ホトケ)は神(カミ)になる

 日本人は四十九日で仏(ホトケ)となり、三十三年で神(カミ)になると考えてきました。ここには、仏教と神道が手を取り合っている姿が、さらには中国の儒教や道教に見られる祖先崇拝の影響も見て取れます。外来の文化をハイブリッドするのが得意な日本人の民族性がよく表れている考え方といえるでしょう(「先祖を大切にする」という点は宗教性を超えた日本人の思想・文化ともいえます)。

 亡くなった人の霊は私たちのそばにいる。しかし初七日、四十九日、一周忌、三回忌と、時間をかけて何度も年忌供養をすることで、死の穢れは少しずつ浄化されると考え、三十三回忌を経て供養は完成。ついに祖霊はその村の氏神へと昇華していくのです。

 このことを示したのは日本民俗学の父である柳田国男でした。柳田は『先祖の話』の中でこうした日本人の宗教性を指すために「先祖教」ということばを用いたほどです。どのような宗教よりも先祖を大事にする日本人について、本書の中でこのように記しています。

 わたしがこの本の中で力を入れて説きたいと思ふ一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久に国土のうちに留まって、さう遠方へは行ってしまはないといふ信仰が、おそらくは世のはじめから、すくなくとも今日まで、可なり根強くまだ持ち続けられて居るといふことである。(柳田国男『先祖の話』)

 そして、宗教学者の藤井正雄は、柳田の『先祖の話』を引用しながら、日本人の来世には「近い来世」と「遠い来世」があるとし、その距離を、時間が分かつものとしています。

 新ボトケはこの現世とは近くの死者の国にいるだけに荒魂(あらみたま)であり、鎮魂を行うことがこの世に残されている人々の大事なつとめとなったのであり、仏教との習合が年忌追善の行事となったと考えられる。(藤井正雄「日本人の死生観と他界観」『神葬祭大辞典』所収)

 近い来世とは死後間もない霊が集まる穢れの多い場所で、仏教による供養が求められます。そして、時間をかけて浄化された祖霊は、清められた遠い来世に赴き、神道式の方法で祀られる。つまり、死者供養の役割が仏教と神道で分けられているのです。子孫たちによる法要や供養によって魂が浄化され、33年経つと位牌を処分してしまう習俗はいまでも見られます。

 また「遠い来世」とはいっても、その場所は村のお山だったりします。古い祖霊たちは山の高いところから私たちを見守ってくれているという信仰から、霊山やお山信仰が浸透し、山のふもとや中腹に神社が設けられているのです。