1935年(昭和10年)に竣工された満洲国交通部は、鉄道、郵政、電信、電話、航空、水運などに関する行政を担った。4階建ての建築は竣工から85年たった現在もその存在感は色褪せることなく長春で異彩を放っている。典型的な興亜様式の建築で、建物正面の独創的なデザインを実際にまのあたりにするとその奇抜さにびっくりする。日本人が設計したとはとても思えず、建物だけを見たらいったいどの国の建築かと首をひねるだろう。しかしその「どの国の建築かわからない」という感想こそが、実は満洲国という急造国家には最もふさわしいのではないかとさえ思う。現在は吉林大学再生医科学研究所などが入っている。
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長春の巨大な人民広場はかつて大同広場と呼ばれていたが、そこに面して建つのが満洲中央銀行本店。1938年(昭和13年)の竣工で、設計は日本国内で数多くの旧第一銀行支店や証券会社などのビルの建築に携わった西村好時。施工は大林組。満洲中央銀行は満洲国における経済政策に関連するほか通貨の発行も手掛けていた。現在は中国人民銀行長春支行として使用されている。この建築物のデザインの圧巻は正面の10本の円柱。古代ギリシャ建築などで使用されたような巨大な円柱を花崗岩を積み上げることによりつくった。現在の日本ではとうていこのようなスケールの大きな建築物を手掛けることはできないだろう。
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1935年(昭和10年)に竣工された地上6階建ての堂々たる威風を感じさせる満洲国司法部。現在の日本でいえば法務省にあたる。正面中央部分はまるで塔のように見えるデザインである。それにしても不思議なフォルムで、見ようによってはいろいろなパーツを組み合わせたとも取ることができる。満洲国の理念のひとつに「五族協和」がある。五族とは、満洲人、朝鮮人、漢人、蒙古人、そして日本人である。それら民族が結集して新しい国をつくることをイメージして設計されたのだろうか。現在は吉林大学新民教区として使用されている。
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満洲国と関東州における電気通信事業を独占的に経営するために、1933年(昭和8年)日本と満洲国の間で合弁の国策会社である満洲電信電話株式会社が設立され、本社は首都・新京に置かれた。略して満洲電電、あるいはMTTと呼ばれた。電気通信事業だけではなく放送局も運営。元NHK アナウンサーで俳優としても活躍した森繁久彌は1939年(昭和14年)にNHKに入社、すぐに満洲国勤務を命じられここ新京に赴任した。1945年(昭和20年)にソ連の侵攻により捕らえられたが、翌年帰国することができた。この建物は現在、中国聯合通信有限公司(China Unicom)の長春支社として使用されている。
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