「観光立国」の夢を実現した矢先の惨劇

 思い返していただきたいのですが、国土交通省が推進してきた「ビジット・ジャパン・キャンペーン(Visit JAPAN Campaign)」を含め、日本は国を挙げて海外からの観光客を日本に呼び込み、日本の魅力を伝え、外国人観光客が日本の観光業を支える「観光立国」を目指してきました。

 元はと言えば、2003年に時の総理だった小泉純一郎さんが2010年に訪日外国人旅行者を1000万人にしようということで頑張ってきました。2003年当時は、日本に訪れる外国人旅行者は年間約500万人ほどで、逆に日本から海外に出かけていく海外旅行者数(年間約1600万人)を大きく下回っていました。

 この差を埋めるために、我が国は外国人にウケる観光地の拡大と、その産業化を進めてきました。外国人旅行者の拡大と観光地の産業化は、まさに、地方経済の維持・拡大に寄与する重要な国策の一つとして位置づけられてきたと言えるでしょう。

 そして時は下り、2019年の訪日外国人数(推計値)は前年比2.2%増の3188万2100人(日本政府観光局=JNTO=)と、過去最多を更新しました。15年の歳月を経て、日本は世界でもまずまず旅行者を惹きつけられる観光国として成功を収めたのです。中でも、経済成長の著しい中国からの旅行者は、2018年から19年で14.5%増の959万4300人と急増、沈む地方経済の地域収支を担いました。

 その間、地方の観光業は慢性的な人出不足に陥り、海外からの技能実習生の受け入れという形で労働力を確保しなければ存続できないほどの状況でした。地方によっては、地域の外からお金を稼ぐことのできる産業は観光業だけで、残りは町役場や警察官などの公務員か、年金生活者のような「国から無償で降ってくるお金」で生活している人たちばかり。農業の高付加価値化に乗り出せた自治体はまだいい方で、地方の人たちが努力してどうにかなるレベルではなくなりつつありました。観光がなければ、地元の経済の崩壊すらあり得る地域も少なくありません。