昨年10月1日、KPK法改正に反対し、ジャカルタの国会議事堂周辺で機動隊員たちに囲まれながらデモする学生たち。彼が持っているのは、KPKの死を象徴する段ボール製の棺だ(写真:AP/アフロ)

(PanAsiaNews:大塚 智彦)

「インドネシアの最強捜査機関」と言われ、国民から高い支持と信頼を得ていた「国家汚職撲滅委員会(KPK)」。ところが、2020年1月からの6月までの半年間の捜査実績が過去最低レベルに留まることが、外部の汚職監視組織や団体の指摘でこのほど判明した。

 きっかけは昨年9月にあった。厳しい汚職捜査が自らの身辺や周辺に及ぶことを危惧した国会議員が中心となり、国会で「KPKの人事刷新、権限縮小、監視機関の設置」などを内容とするKPK法の改正案をさっさと可決してしまったのだ。政党を超えた国会議員の利害が一致した結果だ。こうして汚職捜査を恐れた議員たちによる、KPKの「牙を抜く」作戦はまんまと成功した。

 当時国会前では「KPK改正法案は『KPK弱体化法案』に他ならない」として学生や人権活動家によるデモが荒れ狂った。しかし、ジョコ・ウィドド大統領の指導力も及ばず、法案は可決してしまった。

 だが半年が経過した今、この時反対派やマスコミが危惧したとおりに、最強の捜査機関「KPK」はすっかりその面影を潜め、汚職容疑者らは逮捕拘束を免れ、白昼大手を振って歩くような事態となっている。

 1998年に、民主化のうねりの中で崩壊したスハルト長期独裁政権時代の最大の悪弊だった「汚職・腐敗・縁故主義」(KKN)を払拭してこそ真の民主化は成就する、として新生インドネシアが掲げた高邁な理想は、早くもその危機に直面している。

最強捜査機関は国会議員により弱体化

 インドネシアの民間組織「汚職監視団(ICW)」と「国際透明性機関(TII)」が、このほどまとめた報告書「今年上半期のKPKの業績評価」の中で、1月から6月までのKPKの活動を振り返り「2003年のKPK創立以来最悪の業績だった」と酷評していることを「ジャカルタ・ポスト」など各メディアが26日に一斉に伝えた。

 報告書によると、この半年でKPKが着手した汚職事案は22件で、うちなんとか立件まで漕ぎつけたのは2件で、逮捕した容疑者はわずか2人に留まっている。

 これは2016年の8人、2017年の5人、2018年の13人、2019年の7人に比較してもとりわけ低い水準で「汚職捜査の活動が発足以来極めて低調である」ことを示していると分析している。

 KPKといえば、捜査官が囮捜査で容疑者を現行犯逮捕したうえ、記者会見にもそれらの捜査官が覆面で登場するなど、身分を一般に公開せずに潜入、隠密捜査などで次々と実績を上げてきた。国民の「社会の不公平、不公正の象徴である汚職の撲滅」という期待に応えてきた存在だった。