(武藤 正敏:元在韓国特命全権大使)
朝鮮中央通信は6月24日、金正恩国務委員長(朝鮮労働党委員長)が23日に党中央軍事委員会の予備会議を開き、朝鮮人民軍総参謀部が提起した韓国に対する軍事行動計画を保留した、と報じた。
北朝鮮の態度の変化はそれだけではない。南北軍事境界線付近に設置していた宣伝放送用の拡声器を撤去し、北朝鮮の対外宣伝メディアは韓国批判の記事を突如削除したのだ。
これにより、急激に高まっていた南北の緊張の水位が、一転して急低下した。
バッドコップとグッドコップ
6月4日、金与正(キム・ヨジョン)氏が韓国から北朝鮮に送られてきたビラを批判する談話を発表して以来、北朝鮮は韓国との関係を急激に悪化させてきた。金与正氏は、「対南関係を対敵関係」に転換、南北間の通信ラインを遮断し、南北共同連絡事務所を爆破し、そして対南軍事行動を指示した。これを受けて、朝鮮人民軍総参謀部は南北共同連絡事務所を爆破した16日当日、(1)金剛山・開城工業地区への軍部隊展開、(2)非武装地帯内監視所の再設置、(3)前線地域での軍事訓練、(4)対韓ビラ散布、という4つの軍事行動計画を予告し、中央軍事委員会の承認を得ると明らかにしていた。こうして南北の緊張は一気に高まった。
ただこの時から、北朝鮮の行動について、「金与正氏が悪役『バッドコップ』の役割を果たし、正恩氏がこれを宥める善玉『グッドコップ』の役割を果たすのではないか、いずれ矛を収めるのではないか」との憶測はあった。つまり、まずは強面の警官が厳しく取調べをし、その後で優しい言葉で親身な態度で話を聞いてくれる警官が登場すれば、容疑者はやすやすと自供する。もちろん、悪い警官とよい警官は、自白をさせるため、初めから役割を分担して各々の役割を演じている。こうした心理的戦術を金正恩氏と金与正氏がとっているのではないかということだ。
結果としては、まさに金正恩氏が軍事行動計過去を保留するということでその憶測通りになったが、北朝鮮としては当初からこの落しどころを狙って計画していたのかもしれない。
従来、北朝鮮は経済的な利益を目的とし「瀬戸際外交」を展開してきた。だが今回の動きを見ると、どうもこれまでのような単純な瀬戸際外交としてとらえるのは適当でないように思う。巧妙な仕掛けがいくつも見受けられるのだ。
一つには今回のタイミングだ。6月25日は、北朝鮮と韓国にとって、極めて重要な日時になる。朝鮮戦争開戦の日だからだ。
今回、北朝鮮は6・25の直前に韓国に対し強硬な行動に出ることで、世界に緊張を走らせた。そして韓国を大いに震え上がらせ、さらに南北の緊張緩和を恐れた中国から食糧支援(コメ60万トン、トウモロコシ20万トン)を得ることができた。困窮により統制が乱れつつあった国内を引き締めることにも成功した。
このように一定の目的が達成されたことが、軍事行動計画を保留した大きな要因であろう。
他方で、南北そして米国との緊張関係が高まったことで、米軍の圧力が強まってきた。北朝鮮が軍事的行動を控えた裏には、この米軍の動きもあったはずだ。