戦後すぐの時点では日本でも半分近くが土葬でしたが、現在の日本では火葬率は100%に近く、これは世界第一位です。

 遺骨を骨壺に入れカロートに納めると、土葬や遺骨をそのまま埋めるのに比べて、墓地の使用面積が少なくて済む、持ち運びがしやすいので墓じまいしやすく合理的だという特徴があります。

 私の調べた限りでは、現在のような骨壺をカロートに入れて、角柱の墓石を建てて○○家と刻む「カロート式家墓」が普及してからはまだ100年も経っていません。

 東京の都心部で墓地の整備が進められた結果、カロート式家墓の標準化の流れが生まれましたが、そのきっかけとなったのは何か。関東大震災(1923年、大正12年)です。

 関東大震災により、今の下町エリアの寺院墓地はほぼ壊滅状態に消失・倒壊しました。それを復興する際に、それまでの寺院墓地は、郊外に引っ越す、墓地を廃止して納骨堂に変換する、墓地面積を従来の3分の1に面積を縮減する、三つのいずれかにすることが定められました。

 この三つ目の「墓地面積を従来の3分の1に面積を縮減する」を実現するために生まれたのが、カロート式の家墓です。それまでは一つの家の墓地区画の中に、土葬体があったり火葬骨があったり、個人墓や夫婦墓が建っていたり色々だったものを、一つの「○○家之墓」にまとめなければならなくなったのです。

「墓じまい」が今以上に深刻だった昭和初期

 お墓は代々継いでいくものというイメージの強い現在の感覚ではよく意外に思われるところですが、当時のお墓は「墓じまい」が前提として考えられていました。事実この頃、東京の墓地における一番の問題は「無縁墓の増加」だったからです。それはもう、今とは比較にもならない数で、墓地内の3割が無縁というのが普通でした。

 震災や戦争や不況などで、墓地所有者がいつの間にかどこかへいなくなったことに加えて、無縁墓になってしまったお墓をお寺や墓地管理者が無縁改葬をしやすいようにするため、またお寺や寺院墓地の郊外移転、墓地利用者の転居などの際に改葬しやすいようにするため、お寺や霊園の経営的な観点からも骨壺を移動できた方が効率的だったのでしょう。

 角柱の墓石の普及に関しては、資料がなく確実なことは言えませんが、とくに高度経済成長期からバブル経済期にかけて人口の増加や地方から都市への移住者の増加によってお墓の需要が高まり、大規模な霊園が開発され、大量の墓石が販売されたことが背景にあるかと思います。昔は元お墓の石を階段や建物の土台に再利用していたようなこともありました。お墓の形にも流行があり、かつては舟形の棹石なども多く見られましたが、これだと再利用しにくい、重ねて運びづらい。角柱は同じ形でパッケージ化した方が運びやすく作りやすいという理由が大きいのではないでしょうか。