三者を結んで話すことにしろ、海外でプレーする選手と話すことにしろ、いずれもコロナがなければ実現は難しかったと思います。

それぞれ違った「立ち位置」への言葉

 さて、鹿島で共にプレーした間柄とはいえ、彼らは私にはない感覚を持ってプレーする選手たちでした。

 3人は皆、日本の中では“天才”と謳われて育ってきた選手たち。その彼らの感覚を言語化することで、彼らほどの才能がない、例えばわたしのようなタイプの選手でも、そのプレーができる理由が分かるように話を進めました。

 本山、野沢、柴崎。“天才”と一括りにしても、その感覚は三者三様です。

 野沢は鹿島サポーターから「変態」という愛称がつけられているほど感覚的。

 本山さんはプレーぶりこそため息をつかせるような“まさに天才”といった感じですが、実際はもう少し周囲に気遣いをしながら周りとの関わりを考えてプレーするタイプ。

 柴崎はむしろ感覚より論理的にサッカーをしたいタイプで、より全体像を把握しながらプレーをしている印象です。

 実際に話を聞いてみても、それは随所に窺えました。

 私が選手を見る上で気になるのが、いつも「立ち位置」。それは「原則」です。立ち位置を取ったところからプレーが始まり、ボールが来れば「判断」をして、その結果として「現象」が見えてきます。

 だから、今回も「立ち位置」から話を聞きました。