(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)
新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言が解除されて、これから本格的な夏を迎えようというのに、いわゆる“アベノマスク”は、いまだに全国の配布が完了していない。厚生労働省によると、6月1日現在の配布状況は約53%と、やっと半分になった。
しかも、配布がはじまった当初は不良品が相次いで見つかり、検品に8億円をかけているという報道に接して、15年前の夏に聞いたある話を思い出した。
日本の現状に重なる、祖国への帰還を拒んだ残留日本への証言
当時、私は東南アジアを巡っていた。太平洋戦争が終結しても、自らの意思で日本へ帰還することを拒み、現地に留まって生きた残留日本兵を訪ねて話を聞いた。その夏は戦後60年の節目にあたり、東南アジアに生きていた元日本兵は14人だった(詳細は拙著『帰還せず-残留日本兵戦後60年目の証言』にて)。いまではもう誰も生きてはいないが、そのうちの1人がこんなことを語っていた。
南方に送られるにあたって、夏用の軍服を与えられたが、そこに穴が空いていたり、縫製がしっかりしていなかったりで、最初にもらった軍服と比べても、明らかに質が落ちていた。がっかりした。これは戦争に負けると思った――。
敗戦に向かう日本の追いつめられた状況を物語るエピソードだが、いまの国内情勢もどこか、戦争末期の様相に重なって見える。
以前に、安倍晋三首相が3月からの全国一斉休校を唐突に要請した教育現場の混乱を、インパール作戦と同じではないか、と書いた*1。兵站を無視したこの作戦は、悲惨な末路をたどり、後年「史上最悪の作戦」と称されるようになった。私が会った残留日本兵からも、その体験を耳にしている。
*1突然の一斉休校、重なる大戦時の「インパール作戦」
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59603
この最も無謀と評される作戦を立案、指揮したのが第15軍の司令官だった牟田口廉也中将だった。同軍の幕僚はこの作戦に反対するが、それに牟田口は烈火の如く怒り、精神論で押し通し、参謀長を解任までしている。
上部組織のビルマ方面軍、南方軍も補給の重要性を説いて反対するが、聞く耳を持たない。しかも、上官の河辺正三ビルマ方面軍司令官も「何とかして牟田口の意見を通してやりたい」と語って、止めようともしなかった。
河辺と牟田口は日中戦争の引き金となった盧溝橋事件の旅団長と部下の間柄で、独断で出撃命令を出したのが牟田口ならば、これを追認したのが河辺だった。もはや私情がこの作戦を動かし、上官の意向を忖度した幕僚たちはなにも言わなくなった。