「決める」のではなく「話し合う」こと

――家族の対立については、医療者は黙っているしかないのでしょうか。

大津 医療者がこういった現場をどれぐらい踏んでいるかにもよると思います。緩和ケアの現場ではすごく多いケースですが、特別なトレーニングがあるわけではなく、勘やセンスで対応する部分もあります。対立する家族のいっぽうに肩入れするのではなく、かつての患者の言動などいろんな情報を引き出すことが肝心になってきます。

――たしかに「スパっと死にたい」と言っていても、どんな状況かはさまざまですよね。胃ろうを拒否して「餓死させてしまった」と後悔する人もいます。

大津 おっしゃる通り、胃ろうの拒否が餓死であるとか、不要な点滴によってかえって苦痛を与えているのではないかというイメージをもつ方も少なくないでしょう。だからこそ、その時に処置の意味や役割、見通しを丁寧に説明するという医療者による介入が大事になってくると思います。巷にあふれる情報でできたイメージをほぐして、この患者は何を望むのだろうかということをトレースしていく必要があると思います。それが本人や関係者の「わからないゆえの負担」を和らげることにもなるでしょう。

 人生会議というと、話し合って何か結論を出すという「会議」の印象を持たれると思うのですが、本来はプランニング=進行する計画ですから一回で決めなくていいことですし、持ち帰って検討してもいい。先ほどの二つ目のケースでは、家族内で話し合っても埒が明かないということで私にご相談いただきました。そこでやりとりを重ねるうちに息子さんは「父は胃ろうをしてくれと言うかもしれない」と考えが変わっていきました。私が助言をしたわけではなく、「力強い親父だからこそ、胃ろうをして生きていきたいのではないか」という考えに至ったのです。お父さんは胃ろうをつくり、元気に過ごされているそうです。

――ACPの話し合いの中で治療や処置の意味を知ること、そしてすぐに決めてしまわないことが重要なのですね。

大津 「本人にとって何がよいのか」という原点に、家族も医療者も何度でも立ち返ることです。そして、話し合いを始めた当初と意見が変わっていっても受け止めることと。ADのような「決めること」ではなく、話し合いのプロセスが大事なのです。

(後編に続く)