――ADより手前で、もう少し未来のことを考えようということですね。
大津 そうです。医療現場は徐々に終末期に蘇生や延命措置などについて「確認するだけ」ではなくなりつつありますが、現在はまだその移行期です。医療者側にもADを取ることがACPだと誤解している人もいるのです。
――医療の進歩によって治療やケアに多くの選択肢が生まれました。しかし、医療者の提案に「お任せします」と丸投げになることもあるのではないでしょうか。
大津 医療現場でのDNAR(心肺蘇生を行わない指示)*3はきちんと浸透していると思います。そこから一歩進んで患者さんの最期の何カ月、何年かについて希望に沿うものにしようという話し合いをしていこうとしても、そのための知識やスキルが十分な医療者はまだ多くないと感じています。典型的なのが大橋巨泉さんが亡くなる前に在宅医と交わしたやり取りでしょうね。初対面の医師がいきなり「どこで死にたいですか?」と尋ねてしまったというケースです*4。ACPを理解している医療者であれば、ぶしつけな言葉をかけないように気をつけ、関係の構築を大事にするでしょう。おそらく医師はACPをするつもりでこの言葉を発したと思うのですが、患者本人も奥さんも非常に驚いてしまった。タイミングやどう進めたらいいのかというのは医療者もまだまだ模索中であるといえます。
*3 DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)がんの末期などで心停止ないし呼吸停止した際に心肺蘇生を行わないという特別な指示がある場合、心肺蘇生を省略するという指示。
*4(参考)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/49309
長期にわたって意思表示ができなくなる
――でも、延命だけの治療はしたくないと話す人は(1)から(3)のどの段階でもいますよね。
大津 ただ、最期の状態を経験した人というのはほとんどいないわけですから、多くの人は最後まで自分で意思の表示や反映ができると思っている。しかし、認知症や脳梗塞などの脳血管疾患だと5年や10年にわたって自分の意思表示ができない期間が続くことがありますから「その時が来たら『延命措置はしません』と言えばいいだけ」と思っていると、何もできなくなってしまいます。
私が関わった事例にこんなケースがありました。認知症になった母親が元気なころには、早くに亡くした夫の遠方にあるお墓に入りたいとずっと言っていましたが、認知症がかなり進んでくると「行きたくない、行きたくない」と言うようになった。娘さんは元気な時に母親が言っていたことを文書で残しているわけではなかったので、どちらが本人の意思なのかわからなくなった。これは医療行為に関わることではありませんが、本人の希望が変化したのか、あるいは病気の症状によって言っているのか、判断が難しくなるケースです。
もうひとつのケースでは、「延命治療はやらない、一切要らない」とはっきり言っていた父親が脳梗塞を発症して半身不随になり、口から食べることができなくなって、医師からは胃ろうをしないと生命が維持できませんと言われた息子さんが悩んだのですね。とても力強い父親は「死ぬときはスパッと死ぬ! それが俺の美学だ」と語っていたので・・・母親と娘さんは胃ろうをつくりましょうと言うし、息子さんはそれは親父の望みではないのではと家族内で対立してしまったのです。
でも、延命措置を断るというのも、実はあいまいな意思表示なんです。