——中村さん自身も、かつては東京で大きな仕事をしていたそうですね。そういう中で福岡を拠点に仕事をされるようになったのはどういう経緯なのですか。

中村 前職はベンチャーで経営をやっていました。東証マザーズに上場した2014年、メンタル疾患になったんですね。同じ年に、上場という成功とメンタル疾患という挫折を味わったことになります。

 当時は、最後までやり切れなかった、病気になり周囲に迷惑をかけた、株主を失望させたんじゃないか、といった感情がないまぜになって、本当にしんどい状況でした。しばらくはパソコンを開いたりスマホを眺めるだけで頭が痛くなったり目眩がするような状態だったんです。仕事をしていたときのことを思い出すのもつらかった。

 でも一年半くらい療養生活をするうちに、仕事の楽しかった思い出がフラッシュバックしてくるようになったんです。それがとてもうれしくて。「俺、仕事好きだったよな」って。自分は学生時代から起業を志していて、ベンチャーが大好きだった。そんな自分が20代で一度病気になったくらいでチャレンジを諦めたら、死ぬときに絶対に後悔するなって思ったんです。そうしたらまた勇気が湧いてきたんですよね。

中村義之氏

 ただ前職のように、「会社設立から3年半で上場」みたいな短期的な成果を追求する仕事はしまいと思いました。小さくてもいいので、長いスパンで取り組める、ライフワークになるような事業にしたかったんです。

 一方、療養中は日本中を旅して回っていて、地方の環境の良さに魅かれていました。こんな豊かな環境の中で働けたらもう病気なんかにならないだろうって思えた。同時に、地方が抱える社会課題も目に付くようになりました。

 そういう中で、自分はずっとインターネット業界にいたわけなんですが、本来、場所を問わないインターネットを使って、地方の課題を解決できないか。それだったら地方にいながら起業できるんじゃないか、と考えたわけです。

数は多くなくとも確かなニーズ

——それで地元・福岡で起業を。

中村 ええ。まずは慎重に、自分一人で事業を立ち上げようと思って、福岡で起業している先輩やベンチャーキャピタルの方に、福岡で起業する可能性について聞いて回りました。そうしたらみんな「福岡、いいよ。環境も整ってきているよ」と太鼓判を押してくれるんですよ。

 でも本当かなと。そこで「いやいや、ボトルネックもあるでしょう?」って水を向けたら、皆さん「いや実はね・・・」と課題を口にした。それが採用だったんです。

 ベンチャーを立ち上げたはいいけど、右腕になってくれる人材がいないとか、事業を急成長させた経験を持つ人がいないと言う。じゃあどうやって採用しているのかと聞いたら、SNSでめぼしい人にメッセージを送って興味を持ってもらえたら会いに行く、みたいな非常に非効率な方法でやっているというんです。

 でも僕が東京で働いていた感触からすると、福岡に帰りたいと考えている人は結構いる。ただ「いい仕事がないんだよね」と思い込んでいるだけなんですよね。でも実際に福岡を回ってみたら、いい仕事もいい経営者もいる。だったらその橋渡しをしてあげれば、福岡の発展にも貢献できるんじゃないかなと。それでYOUTURNを立ち上げたわけです。

——事業はすぐ軌道に乗りました?

中村 この事業がどれくらいの市場規模があるのか、どれくらい成功確率があるのか全く分かりませんでした。もうニッチ・オブ・ニッチみたいな事業ですから。当初はサイトに登録してくれる人が、月に10人もいないくらいで絶望しかけていたんですが、徐々に成約件数も増え、それに伴って現在は月に100人を超える方に登録してもらえるようになっています。

——かなり認知度も上がってきているんですね。

 まだまだ小さな企業ですが、福岡の企業や自治体からかなり期待をかけていただいています。それだけに、数は多くなくとも確かなニーズがあるのだなと実感しています。その確かなニーズを確実に実現していき、福岡のみならず多くの地方都市への移住がキャリアの魅力的な選択肢になるように事業を拡大し磨き上げていきたいと思っています。