「一流」という言葉には、「二流、三流という存在があって、それらの人は一流から見下されても仕方ない存在」という裏のメッセージがひっついている。こうしたフレーズが、ビジネスに存在することは、本当に適切なのだろうか。

 会社というのは、チームで、組織で運営されるものではないのか。そして、花形ではないかもしれないが、どの仕事も会社を支える大事な部分を担っているのではないのか。そうした敬意を持たないで、はたして会社という組織のパフォーマンスは向上させることができるのだろうか。

障害者学校の先生が残した教訓

 ある農業生産者のところに、障害者学校の教員が見学に来た。ネギの苗を水耕栽培の装置に植えるのを見て、先生たちが「これ、うちの生徒にもできそうだね」と語っているのを聞いて、その農家はムッとしたのだという。実は、その仕事は、ベテランでないと苗の根が水に届かず、枯れて大損害が出かねない、とても大事で繊細な仕事だったからだ。「農業なめんな!」と、心の中で叫んだという。

 数日たって、先生たちが再びその農家のもとを訪れ、「ちょっと試させてもらえませんか」と言ってきた。何をするのかと見ていたら、ネギの苗の根元に下敷きを当てて、一気に苗を一列分、植えてしまった。しかも、ベテランが植えるのと同じくらいにきれいに、そして簡単に。

 これをみて、生産者はたまげたという。そして、考えさせられたという。健常者は器用。ベテランともなれば、少々の問題は腕でカバーしてしまう。けれど、障害者は動きに不自由があるので、自分たちにもできるように、道具を使った工夫を考える。そしてその工夫なら、健常者の作業性も大きく向上する。健常者だけの職場では気づかない工夫を、障害者から教えてもらえるのか。

 それ以来、その生産者は毎年1人ずつ、障害者を雇用し、その人に仕事をしてもらうにはどうしたらできるのか、という工夫を重ねるようになったという。そしてその工夫は大概、スタッフ全員にとっても便利なものになるという。

「一流」という言葉には、一流でしかこなせない仕事がある、という裏のメッセージがある。しかし、たった一人のスーパーマンを生むために、他の人たちを二流扱いして、そのパフォーマンスを引き出そうとしない組織は、果たしてうまく機能するものなのだろうか? 私は大変、不思議に思うのだ。

 もしかしたら、「一流病」が、日本全体のパフォーマンスを悪くしているのかもしれない。だとしたら、日本のビジネス本やビジネス誌のタイトルから、「一流」という言葉が消えた時こそ、日本経済復活のバロメーターになるのかもしれない。

 そうした視点でこれからの日本を見ていくと、結構楽しそうだ。