(篠原 信:農業研究者)
ビジネス本やビジネス系のニュースを見ると、「一流」という言葉がよく目につく。
確かに、「一流」という言葉は、心くすぐられる。二流とも三流とも違い、一流と周りから目される。なんだか鼻が高い思いができそう。そうした優越感を味わいたくて、一流になれるというビジネス本に手を伸ばしたくなる気持ちはよく分かる。
ただ私は、そうした本に手を出すのを躊躇する。また、私自身、ビジネス本を書いたが、「一流になれる」という本を書く気が起きない。それには、次のような原体験があるためだと思う。
「先生、それは息子の長所です」
小学生の頃、集団行動というものがまったくダメだった私は、先生からよく怒鳴られていた。協調性のない私をなんとかしようと、先生は必死だったようだ。しかしどうにも言うことを聞かない私に業を煮やし、とうとう私のことを罵るようになってしまった。
そうした気配を察知し、父がはじめて、学校に面談に行った。先生からひとしきり、私の問題行動について耳を傾けた後、父はこう言ったという。「先生、それは息子の長所です。息子の長所を潰さないでください」
先生は一瞬、キョトンとしたという。問題行動のどこが、長所だって?
父は次のように続けた。
「息子は孤独に強い子です。そして世の中は、たった一人で担わなければならない仕事があります。燈台守もそうだし、ビルの警備もそうです。夜中、誰もいない中で、一人で仕事をしなければなりません。世の中は、そうした孤独に耐える人たちのおかげで回っています。もし協調性のある人間ばかり求めたら、誰がそうした孤独な仕事を担ってくれるでしょう? 息子が孤独に強いのは、長所です。ですから、その長所を潰さないでやってください」
短所とばかり思っていた先生は、それが長所として捉えることができるという話に驚き、クラスの中で指導に困っているほかの子どものことも父に相談し、短所がすべて長所として読み替えられていくことにさらに驚き、面談は1時間以上になったという。父は、廊下で列を成して待っている保護者の方々が気になって仕方なかったそうだ。