1997年2月採択、2005年2月発効の京都議定書を振り返ろう。京都議定書は「2008~2012年の5年間(第1約束期間)に先進国が、CO2排出量を基準年(1990年)比でそれぞれ決まった率だけ減らす」と定め、削減率はEUが8%、米国が7%、日本とカナダが6%だった。

 採択年を考えれば、基準年は翌98年とか、キリのいい2000年にするのが筋だったろう。だがEU(とくに、排出量でEU全体の40%近くを占めていた英国とドイツ)が1990年を強く主張した(京都会議に出たドイツの環境相は現首相のアンゲラ・メルケル)。なぜか?

 ヨーロッパでは1990年から東西融合が進んだ。旧東独と合体したドイツは東独の古い工場や発電所を更新してCO2排出を大きく減らし、1997年時点の排出量は90年比で14%も少なかった。かたや英国は同時期に燃料の切り替え(石炭 → 天然ガス)を進め、CO2排出を10%ほど減らしていた。だから基準年を1990年にすれば、両国つまりEUはCO2排出を「増やしてかまわない」ことになる。

 当時の日本や米国にとって、CO2排出量を6%や7%も減らすのは不可能に近いのだが、日本政府は「6%」を呑んでしまう。なお、日本は当初「2.5%」を考えていたところ、議場に乗り込んだ米国の元副大統領アル・ゴアの剣幕に押されて「増量」したと聞く。

 私には理解できない国際政治の力学により、京都議定書の時代から2016年発効のパリ協定に至るまで、「CO2排出を減らすべき先進国」は、EU諸国の一部と米国、日本、カナダ、オーストラリア、ノルウェー、スイスに限られる。つまり「温暖化対策」の話になると、中国やロシア、インド、ブラジル、韓国、シンガポール(1人あたりGDPは日本の約1.4倍)、中東諸国やアフリカ諸国はみな「途上国」の扱いになり、排出削減を強制されない。中国が世界最大の排出国になったいま、理不尽きわまりない状況だといえよう。

 そんな状況を嫌った米国は京都議定書を批准せず、早々と2001年3月末にブッシュ(息子)政権が議定書から離脱した。カナダは2007年4月に「6%削減の断念」を発表し、2011年12月に正式離脱を表明している。

 日本では京都議定書の採択も発効もメディアと一部識者がこぞって称え、小中高校の教科書にも「画期的な出来事」だと紹介された。担当官庁になった環境省では、議定書の発効から第一約束期間終了(2012年)まで歴代の環境大臣(小池百合子氏~石原伸晃氏の10名)が温暖化対策を率いている。

 とりわけ熱心な小池大臣(2003年9月~2006年9月)の任期には、クールビズやウォームビズ、エコアクション、エコカー、エコバッグ、エコポイント、エコプロダクツなどなど、あやしいカタカナ語が続々と生まれて世に出回り、関連の業界を活性化させて、おそらくは国のCO2排出量を増やした。

安直な「CO2による地球温暖化」説は疑わしい

 そもそも、地球の気温は、過去どのように変わってきたのかも、どんな要因がいくら変えてきたのかも、今後どう変わっていきそうかも、まだ闇の中だといってよい。