ヤミ市時代の終焉

 都民が戦後のどん底を抜け出すのは、1948年の秋である。主食の配給遅延もなくなり、生産活動も再開され、都市と地方を結ぶ貨物輸送も回復して物が出はじめる。1948年9月、マッチが自由販売となる(公定価格は翌年まで残る)。

 以後、統制の撤廃は、1948年4月=野菜、6月=鶏卵・豚肉、8月=牛肉、19950年4月=魚類、5月=革靴、12月=石鹸と続いて、1951年4月には、甘藷・馬鈴薯が自由販売となる。都市の生活は急に明るくなっていく。

 そして、それは同時に、ヤミ市時代の終焉を告げるものでもあった。「六・一休業」で廃業した呑み屋のあとに、人が住みついて住宅になる街さえ出てきた。保険金を目当てにしたマーケット放火が跡を絶たず、街の風景は活気を失っていく。

 東京都が東京復興の基盤となる駅前・繁華街の土地区画整理事業に着手したのは、1950年。新宿、渋谷、池袋など13地区17カ所、1122平方キロの土地整理がはじまり、まもなく主要なヤミ市はその姿を消した。また、同じ年、道路上の常設露店も都内からすべて取り払われ、都内5934の露店は、雲散霧消した。