あるときは、同室のオバさんが、正月に初オネショして、そのまま布団を巻いていたこともあります。「何か臭うねえ」と、同房の皆が言いだし、あちこち探しましたら、本人は、オネショ布団を隠ぺいして涼しい顔しています。
ガヤガヤと皆で騒いでいたら担当刑務官が来ました。さらに部長までが顔を出しました。そこで私が「お前力持ちやろう、その布団を台車に乗っけて運べ」と言われました。それだけならいいのですが、正月は洗濯係が休みです。「ついでに物干しに干せ」と言われた時は嫌でした。
中庭の物干しにオネショのシミがある布団を干していたら、いかにも私がらかしたようではありませんか。案の定、他の工場の人も中庭をのぞいていました。ニヤニヤしている人もいました。私が真っ赤になりながら干し終わると、担当からは有難うというひと言もありません。恥ずかしいやら、腹が立つやらで一日機嫌が悪かったことを覚えています。
孤独好きなら独居がおススメ
刑務所生活の半分以上は、懲罰くらって孤独な独居暮らしでした。私は、その方が素晴らしいと思っていました。私にとって、独居房はスイートルームだったのです。なぜなら、煩わしいことに巻き込まれませんし、嫌な事を見なくて済みます。大嫌いなテレビの騒音もありません。面倒な洗濯すら他の人がしてくれます。誰にも煩わせられることなく自分の世界に入れますから、まったく素晴らしいひと時でした。
懲罰房でもいろいろあります。隣の房から壁を叩いて合図してくる子もいました。食器を出し入れする口から、話ができるし、窓際で会話していましたね。
私は、官から嫌われていたと思います。何かすると直ぐに懲罰です。ある懲罰の時には、食事のメニューがありません。隣の独居の子に「今晩の食事は何なん?」とか尋ねていました。これを若い官に見つかり、Tという官にチンコロされました。「おまえ、誰と話をしていたのか」と尋問されましたが、隣と会話していたとは言えません。「歌を歌ってたんや」と返しましたら、もう一度懲罰を喰らいました。いうなら「懲罰中の懲罰」でしたね。
このTをはじめ、キャンキャンいう官は数人居ました。刑務所の塀の向こうに官舎がありましたから、イワしに行こうと思ったことも一度や二度ではありません。しかし、そうした彼女たちも、こちらが出所間近になると、気味が悪いくらい優しくなります。
「大人の大学」での学びなおしはコリゴリ
独居生活は、壁と向かい合う修行僧のように単調な日々なのです。それでも、時間は過ぎてゆき、40歳になったとき、満期釈放または仮釈放準備の「引き込み」となり出所準備寮に移されました。普通はここでハローワークなどに連れて行かれますが、私の場合は、相変わらずの独居。どれだけ危険視されているのか、自分でも可笑しくなりました。
私は、度々の刑務所暮らしで感じたことですが、刑務所はすべて独居にした方がいいと思います。受刑者を交流させたら、ロクなこと覚えません。余計に悪い知識やネットワークを覚えて出てきます。そういう意味でも、刑務所は「大人の大学」です。私は、もう学びなおしはコリゴリです。