日本の決断

 日本の中国に対する宥和政策的な考え方に、アジア諸国も西欧諸国も失望しているだろう。

 香港の自由を巡る戦い、少なくとも中国が一国二制度を反故にしようとしている動きに、日本は何ら苦言を呈するわけでもなく、米国が中国を追い詰めて真に国際社会の一員にしようとする行動に同調するわけでもない。

 自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配を普遍的価値として掲げる日本は、日本人として恥を感じないだろうか。

 かつての天安門事件において、諸外国の中国への制裁を破って、真っ先に中国を支援した同じ過ちを犯していないだろうか。

 来年春の日本の桜は、中国国家主席の国賓としての訪日を喜ぶだろうか。

 しかし、希望は失ってはいない。

 首相は10月5日の所信表明演説において次のように演説した。

「パリ講和会議において、日本は人種平等を掲げ、世界中に欧米の植民地が広がっていた当時、日本の提案は各国の強い反対に晒されました」

「しかし、決して怯むことはありませんでした。日本全権大使は、困難な現状にあることは認識しているが、決して乗り越えられないものではないと述べた」

 日本はその後戦争に負けはしたものの、高尚な理念を持ち、それを主張し続けたではないか。

 それが分かっているなら、なぜ今、米中の戦いの本質は、「自由を守るか」「独裁の抑圧する社会で生きるのか」の選択だと気がつかないのだろうか。いや、良識あるサイレント・マジョリティーは気づいているだろう。

 ならばもう一度立ち止まって、敢然と自由と民主主義、基本的人権の尊重、法の支配を守る側に立ち行動を起こすべきであろう。

 今こそ日本は、中国への過剰な配慮を止め、勇気をもって自らの立ち位置を明確に表明しなければならない。

 短期的な経済的利益だけを追うような日本ならば、決して歴史に名は残らないだろう。