いずれにしても、「安倍首相の4選はない」とは否定できない状況です。安倍首相もそれを分かっているからこそ、「大胆な挑戦をして大ケガしてしまったら4選の目はなくなる。それよりは、4選の可能性も残しつつ、堅実に3期目を送った方がよい」との計算を働かせているのかもしれません。そして私は、そこに「日本の危機」を感じてしまうのです。
なぜこれが日本の危機なのか?
もしかしたら読者の皆さんは、「安倍首相に挑戦心が足りないから危機なんだ」と受け止めたかもしれません。しかしそれが私の真意ではありません。
私は、その時々の政権のあり方は国民の感情の反映だと考えています。つまり、安倍政権に挑戦の機運が感じられないとしたら、それは国民自身があまり挑戦を求めていないことの表れなのです。
日本に蔓延する過度な安全志向
口では勇ましいことを言っていても、心の奥底では、「経済も何となく安定しているし、このまま安定的に国政を運営してくれた方がなんとなく安心感があるな・・・」と思っているのではないでしょうか。少なくとも私はそう感じとっています。国民全体がなんとなく安定を志向してしまった結果が、今回の安倍改造内閣の人事に如実に現れたのではないでしょうか。
しかし中長期的に見れば、日本の国力はズルズルと坂を滑り落ちている最中です。以前も書きましたが、平成の30年の間に、世界のGDPに占める日本のGDPの割合も、国際競争力ランキングの順位も、世界の時価総額ランキングトップ50に入る日本の会社の数にも驚くほど低下しています。さまざまな指標が落ちてきているのに、当の日本人は目先の安定の中でなんとなくユーフォリア(陶酔感)に浸りつづけ、本格的な改革を求めなくなってしまったのではないでしょうか。実際、普通に考えれば日本の社会保障はさらなる高齢化の進展で、いっそう厳しくなるのは目に見えています。それなのに、国民の間からは痛みを伴う改革を求める声が全くと言っていいほど聞かれなくなりました。政権の姿勢にも、その気持ちが反映されているのではないかと思うのです。
参考:「平成」の30年、なぜ日本はこれほど凋落したのか
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55931
こうした国民的な感情は、最近の家庭教育の影響を受けているような印象も受けます。かつては子育ての中に、「かわいい子には旅をさせよ」という発想が結構強くありました。しかし現在の子育て世代に、そのような発想はほとんど見られません。
単なる過保護と言うよりも、「けがをしないように」「危なくないように」ということばかりに気が向き過ぎて、子育てが過度に防御的・防衛的になっているように感じます。その結果、個人としても何かに思い切ってチャレンジするような人材が育たない社会が生まれつつあるのではないでしょうか。