自民党本部で当選した丸川珠代氏(左)の名前に花を飾る安倍晋三首相(写真:つのだよしお/アフロ)

 過去2番目の低投票率となった参議院選挙が終わりました。

 この低投票率が全てを物語っていますが、今回の選挙は、一言で言えば、大きな争点もなく、現状追認色が強かったといえます。結論として、与党が圧勝しました。

「自民党は改選対象の議席を減らした」「立憲民主党は倍増の勢いだ」などの言説も出てはいますが、強がったところで、与党に「負けた」感が全くありません。やはり、改選124議席のうちの71議席を与党で押さえた事実は強いと思います。仮に与党に敗北感があれば、自民党内あるいは自公政権内で、「安倍降ろし」的な動きが出てくるわけですが、むしろ、再度党則を変えて安倍総裁の4選を可能にしよう、という声が出始めている状況です。

野党が強くなる制度設計なのに

 今回の勝敗を大きく分けたのは、やはり事前の予想どおり1人区での勝敗です。比例区は50議席のうち与党が26議席(約半分)、2人区以上は42議席のうち与党が23議席(約半分)と、与野党がほぼ五分五分であるのに対し、1人区は32議席のうち与党が22議席と3分の2以上を占めました。

 しかし本来、野党はもっと強くてしかるべきなのです。私がそう述べる根拠は、当為論・べき論ではなく、制度論、すなわち、今から25年前の制度設計にあります。

 今からちょうど四半世紀前(25年前)の1994年は、政治改革四法が成立した年でした。この法律群により小選挙区比例代表並立制と、金権政治根絶のための政党交付金の制度などが取り入れられることになりました。

 これらの制度改革は、二大政党制を志向して実施されました。金権政治、派閥中心の政治など、長年続いた自民党一党支配体制の中で政治の仕組みに様々なほころびが見え始めていました。そこから脱却し、政権交代可能な二大政党制への移行を目指して改革が進められたのです。つまり、与党に匹敵するほどのパワーを持った野党の登場を促す制度設計がなされていたわけです。であるならば、それから25年が過ぎた今日、常識的に考えれば野党はもっと強くなっていてしかるべきなのです。