デモが長期化するにしたがって、民主派の五大要求項目が香港社会に定着し、今や、他の4つも前進しなければ、事態は鎮静化しないような状況になっている。

北京政府、香港政府が絶対に認めない「普通選挙」の実現

 2014年秋の「雨傘運動」のときにも、民主派は行政長官の直接選挙を求めたが失敗しており、今回こそはという意気込みである。デモは、新学期が始まっても続いており、授業ボイコットも行われている。参加者も中高校生にまで拡大している。

逃亡犯条例改正案撤廃が発表された翌9月5日も抗議デモは終わらなかった。写真は香港大医学部での抗議デモに、片目を覆って参加する医学部の女子学生(写真:ロイター/アフロ)

 最終的には、日本や欧米の先進民主主義国のような完全な普通選挙を実現させることが民主化運動の目的となっているが、北京政府も香港政府もそれは絶対に認めないであろう。

 中国の立場から言えば、香港は中国の一部であり、共産党一党独裁に反対することは許せないのである。一国二制度とはいえ、北京に対立する政権の樹立は論外であり、当然の限界がある。

 一方、民主派にしてみれば、台湾のように、指導者を完全に民主的選挙で選ぶことこそが、一国二制度であると言いたいのである。両者の見解が調整できるはずもなく、出口が見えないのが現状だ。

 今回の香港のデモを見ていて感じるのは、1968年にパリで起こった「5月革命」に似ているということである。

 51年前の1968年5月、フランスで学生の反乱、5月革命が起こった。彼らの要求は、大学の運営への「参加(participation)」や学生自治の拡大であった。私は、当時は東京大学の学生であったが、東大でも紛争が起こった。それは医学部などで大学当局の決定に問題があるとしたものであった。そして、意思決定過程に学生を参加させよという要求を掲げたのである。

 日仏だけではなく、ドイツ、イタリア、アメリカなどの先進民主主義国でも学園紛争の嵐が吹き荒れた。アメリカでは、シカゴなどで、ベトナム反戦運動が激化していった。

 当時の若者の運動に共通していたのは、授業料値下げとか、奨学金の増額とか、学生食堂の充実とかいった物質的な要求ではなく、意思決定過程への参加というような脱物質的な要求であった。社会学者のロナルド・イングルハートは、若者の反乱のこのような性格を「ポスト・マテリアリズム(脱物質主義)」という言葉で特色づけた。

 香港の民主派や若者たちが掲げる5項目の中には、就職支援や家賃補助などの経済的欲求は含まれていないし、失業とかインフレとかいう経済困難が街頭に出ることを促したのではない。また、世界中で台頭するポピュリズムの引き金となった格差の拡大は、今回のデモとは全く関係がない。貧富の差を超えて、あらゆる階層の香港市民が運動に参加しているのである。市民が掲げているのは普通選挙の実現であり、それは、1968年の5月革命と全く同じ参加要求である。

 さらに言えば、フランスの5月革命は、ドゴールの長期政権に対する不満の爆発でもあった。今回の香港の反政府デモは、北京政府の支配下にある香港政府の下で、完全な民主化がいつまで経っても実現しないことへの不満の爆発でもある。

 そのように考えてくると、香港市民の運動は、50年遅れの5月革命と言ってもよいのかもしれない。皮肉なことに、今のフランスで起こっている「黄色いベスト」運動は、格差の拡大に対する「異議申し立て」であり、掲げている要求は、最低賃金の上昇などの「物質的なもの」である。

 1968年の5月革命を収拾させるためにドゴール大統領は議会の解散総選挙を行い、それには勝利した。しかし、翌年に行った上院や地方制度の改革を問う国民投票で破れ、大統領職を辞することになる。5月革命で政権が弱体化していたのである。