鳥取・倉吉には古い町並みが残る(写真:KONO KIYOSHI/アフロ)

 究極の形は80年代後半、竹下内閣で行われた「ふるさと創生事業」でしょう。これは基礎自治体に一律1億円を配るというもので、東京に集まったお金を地方にダイレクトに戻すという発想です。すべての自治体に、1億円をポンと渡す、という大胆な政策と言えます。

 しかしこうした施策によって地方が活性化されたかというと、答えは必ずしも「イエス」ではありませんでした。都市部への人口集中は続き、地方の過疎化問題は全く解決されなかったのです。

「俺たちは何で食っていくか」

 2つ目のフェーズは、90年代から2000年代にかけてありました。このフェーズで注目されていたのは「住民不在問題」です。どういうことかと言えば、それまでは地域の物事を決めていく過程に住民が十分に関わり切れていないという現実がありました。そこで、情報公開などを進め、住民が地域の情報を正しく把握できるようにしようという「波」が生まれたのがこの頃です。その結果、「まちづくり条例」などの名称がつけられた自治基本条例が各自治体で作られ、住民がきちんと地域の施策に携われるようになりました。

 またこのころは、国と自治体との関係でも大きな変化がありました。地方分権一括法が出来て、それまで地方自治体が国の下請け事務的にやらされていた機関委任事務が廃止されたのです。国は国、地域は地域ということで事業の分担が明確になり、自治体の事務負担は軽減されました。そうした中で道州制の議論も盛り上がり、市町村合併も進められました。

 住民が自治決定に携われるようにし、一方自治体のほうはよりコストのかからない運営ができるようにするための取り組みが進められたのがこの時期です。ただそれによって「地方創生」が進んだ、という評価はほとんどなされていません。

 3つ目のフェーズはまさに現在の状況です。特に安倍内閣になってから重視されるようになってきたことですが、「各地が何で食っていくか」ということが注目されるようになりました。というのも、それまでは「お金や人が東京に集まりすぎちゃっているので、それをどうにかして地方に戻しましょう」ということが政治や行政の主眼にありましたが、頼みの綱の東京もいまや人口減少、高齢化の局面に入ってしまっています。つまり、東京にももう余力はなくなってしまったのです。