「なんだ。もともと素晴らしいものがあるから自立して食っていけているだけじゃないか」と思われる人もいるかもしれませんが、実はそうではないのです。

 例えば、私が中学・高校時代を過ごした川越市(埼玉)は、蔵造りの街並みが有名で、「小江戸・川越」として首都圏の人気観光スポットになっています。しかし、私が高校に通っていた30年ほど前は、町のシンボルである「時の鐘」こそありましたが、「よく見れば蔵っぽい建物があるな」といったくらいで、普通に電信柱もニョキニョキ立っている、どこにでもある地方都市の街並みでした。

 それをある時から、商店街の若手らが中心となり、昔ながらの街並みを取り戻す活動を始めます。特に大きかったのが、電力会社や県、市に働きかけを行って実現した電線の地中化です。これによって街並みが一変。古い建物を活かす方向で街づくりが進められ、現在のような人気スポットになっていったのです。

電柱がない川越市の街並み

 つまり、「もともと強みがある」地域が繁栄できるというのではなく、「もともとある資源を磨いて強みにした」地域が繁栄できるのです。そうやって、「うちの地域はこれで食っていくんだ」というシンボルを打ち立てることが大切なのです。

「フラダンス」は観光用に作り込まれたものだった

 もう一つ例を挙げましょう。旅行先として常に高い人気をキープしている沖縄です。「青い海」「きれいな女性」というイメージが人気の秘密ですが、これだってもともとあった要素を磨き上げて、「沖縄と言えば海」「沖縄と言えばきれいな女性」というイメージを定着させたのです。

 これは亡くなられた堺屋太一さんから直に聞いた話です。通産官僚だった堺屋さんは、沖縄復帰と同時に、沖縄開発庁那覇事務所に通商産業部企画調整課長という役職で赴任します。当時、官邸や霞が関には沖縄の将来についてものすごい切迫感を持っていたそうです。というのも、アメリカの施政権下を離れ日本に復帰した途端に沖縄が貧しくなったらまずい、という意識があったからです。

 大阪万博を成功させた経験を持つ堺屋さんは、沖縄海洋博をきっかけに沖縄の観光開発をすることを決意します。とはいえ、本土から見れば沖縄は絶海の孤島のような場所。当時、そうそう気軽に行ける場所ではありません。

 その時に堺屋さんが参考にしたのがハワイだそうです。ハワイも、沖縄と同様に絶海の孤島ですが、「観光」というシンボルを打ち立ててたくさんの人を集めることに大成功していました。

 ではハワイはどうやって「憧れのハワイ」へとなっていったのか。やはり「海がきれい」「女性がきれい」というイメージを打ち出したことで成功したのです。中でも大きな観光資源となったのが、一般的には「フラダンス」と呼ばれるフラ。実は現在、私たちが目にするフラのほとんどは、もともとハワイにあったものではありません。もともとハワイにあったフラ・カヒコ(古典フラ)は、神に捧げる踊りで、詩に合わせて演じるもの。現在の観光化されたフラは、女性の美しさを際立たせるため、艶やかなタヒチアンダンスの要素を移植して出来上がったものなのです。その是非はともかく、そうやってハワイは、もともとあった資源に手を加え、シンボル化に成功したと言えます。

現代の「フラダンス」は古典フラにタヒチアンダンスの要素を盛り込んで作られた

 堺屋さんもその手法に倣って、「きれいな海」、「きれいな女性」を全面的に打ち出して、沖縄のシンボルとしていきました。それが現在まで沖縄のイメージとして定着し、毎年多くの旅行客を惹きつけているのですから、大成功だったと評価してよいでしょう。

 このように、成功している自治体の第一の共通項は、まずは「これで食っていく」というシンボルを打ち立て、それに磨きをかけ続けていることなのです。

 成功している自治体の第二の共通項は、BtoBからBtoCへシフトしているという点です。日本の地方都市で強い産業は従来、BtoBが主流でした。大企業の下請けの会社が頑張って地域経済をけん引してくれていました。それが徐々に、BtoCという、サービスや商品を消費者に直接届けるような形に変わってきています。この変化に上手く出来た企業、ひいてはそうした企業を抱えている地方が地方創生に成功しているのです。

 先ほども触れた三条のスノーピークという会社は、かつては山井幸雄商店という金物問屋でした。その卸業から、キャンプ用品や釣り具といったBtoCのビジネスにシフトしていった結果、現在は連結売上が連結で120億円を超える一部上場企業になっています。

 また、百貨店などで高級洋菓子を販売している「ガトーフェスタハラダ」は、群馬県高崎市の会社ですが、2000年時点では従業員20名足らず、年商が1億円にも届かない、学校給食用のパン製造などがメインの会社でした。そこから思い切ってラスクの生産に乗り出し、BtoCビジネスに大きく舵を切りました。いまでは年商200億円弱、従業員も1000人以上という企業に成長しています。こうした企業が、地域経済の新た牽引役として頑張り始めています。