テクノロジーの驚異的な発達はわたしたちの生活を便利にしていく。買い物に行かなくてよくなったり、それがすぐに届いたり、運動しなくたって痩せることがあったり・・・便利は、最高である。
そんな当たり前のことに異を唱える学者がいた。京都大学の川上浩司教授である。果たしてその理由とは――? 3回にわたってお送りする。
※本稿は『京大変人講座 常識を飛び越えると、何かが見えてくる』(酒井敏、川上浩司ほか著、三笠書房)より一部抜粋・編集したものです。
「甘栗むいちゃいました」と「ねるねるねるね」
不便より、便利なほうがいい。それが世の中の常識です。それに、今ある多くの科学技術は、不便をなくそうという試みから発展してきたといっても過言ではないでしょう。
一方、私が学者として探し求めているのは「不便の益」です。要するに「不便だからこそいいこと、うれしいこと」を探すことをライフワークとしています。
「不便だからいいこと」といっても、「そんなの、あるのかな?」と、読者のみなさんの中には首をかしげた方もいらっしゃるかもしれませんね。
われわれ工学系の人間は、とにかくなんでも「定義」したがります。ですから、まずは「便利」と「不便」ということがどういう意味なのか、定義してみたいと思います。
「不便」とは、「手間がかかったり、頭を使わなくてはいけないこと」とします。
そうすると、その対極にある「便利」とは、「手間がかからず、頭を使わずにすむこと」と定義できるのです。そして、工学部出身者として、以前は「便利で豊かな社会をつくることこそ、自分たちの使命である」と信じていました。
ズバリ「不便」と「便利」の定義をわかりやすく説明するのに最適なものを一つ挙げるとするなら、「甘栗むいちゃいました」というお菓子がうってつけです。商品名どおり、むいた甘栗がパッキングされています。甘栗が大好きな人も皮をむくのは手間ですから、とても便利なのは間違いありません。
案の定、この商品は甘栗業界(?)の世紀のイノベーションとして、大ヒット。今もみんなに愛される定番品になっていますね。
ちなみに、「甘栗むいちゃいました」を世に送り出したクラシエというメーカー、実は「ねるねるねるね」という子ども向けのお菓子も販売しています。
「ねるねるねるね」に入っているのは粉だけ。それらを付属の容器に出して水でよく練ることで、ようやく食べられます。お菓子づくりの過程の最後のひと手間をユーザーに任せてしまうのですから、ひどく「不便」な商品と言わざるをえません。
しかし、不便さにもかかわらず、ひと手間かけるのが楽しいからこそ、「ねるねるねるね」は子どもたちに大人気。ロングセラー商品となっています。