なんだって便利がいい。そんな当たり前のことに異を唱える学者がいた。京都大学の川上浩司教授である。
川上氏は「不便でいいこと」を研究し、その知られざる価値にスポットを当てた。前回は「『甘栗』『ねるね』、ロングセラーの矛盾する秘密」として、不便でいいモノをご紹介したが、今回は不便でいいコト。第二回。
※本稿は『京大変人講座 常識を飛び越えると、何かが見えてくる』(酒井敏、川上浩司ほか著、三笠書房)より一部抜粋・編集したものです。
「不便」にあって「便利」にないもの
さて、前回は「モノ」にまつわる不便を見てきましたが、不便な「コト」もあります。
原付きバイクで通学していたある学生が、バイクが故障してしまったので、修理期間中は自転車通学をすることになりました。すると、バイクに乗っているときはただ流れていくだけの風景が、自転車から見るとよく目に留まるようになり、その結果、お気に入りの定食屋さんが一つ増えたのだそうです。
バイクに比べれば、スピードが出ない上に疲労する自転車は不便でしょう。しかし、不便な自転車に乗らなければ気づけないこともあったわけです。
こんなこともありました。ある学生が、ひと月ほどバックパッカーとしてヨーロッパを旅行したそうです。泊まったのは一泊3000円ほどの安宿で、部屋は狭く設備も整ってはいません。テレビはロビーにある1台を宿泊客でシェアするしかなく、慣れない英語でチャンネル争いをしなければならなかったそうです。
ある夜、サッカーのワールドカップの日本戦が行なわれる日、彼はあの手この手を駆使してチャンネル権をからくも手にし、試合を見ることができました。すると、日本人とは思えない人たちが、同じ試合を見ながら隣で盛り上がっていました。もしやと思って話しかけてみると、やはり日本の対戦国から来た旅行客だったそうです。
彼らと一緒に試合を見て盛り上がり、その後連絡先を交換して、帰国してからもメールをやりとりする関係になったのだと言います。
この2つのエピソードが物語るのは、「不便」によって彼らがなにがしかのチャンスを手にしていることです。
「不便」とは、一般的には、なんらかの可能性を減じてしまうイメージがありますが、学生たちは、不便な自転車通学や、不便な宿を選んだことで、新しいお店や友人に出会うチャンスを手にしたのです。
さらにいえば、彼らは不便だったからこそ、能動的に行動を起こしています。目に留まったお店にわざわざ立ち寄ってみたり、見知らぬ人に慣れない外国語で話しかけてみたりと工夫することでチャンスをつくり出しています。
「便利」には、それがありません。ボタンを押したら、終わり。あとは全自動でことがすみ、ユーザー側の工夫を許してくれないのです。
一方で、「不便」は、私たちの自発的な工夫やチャレンジを許してくれる、度量の広さを持っているといえるでしょう。