「日米修好通商条約百年」の記念切手にも、なぜか「ポーハタン号」ではなく「咸臨丸」が登場

(柳原三佳・ノンフィクション作家)

 5月18日(日)、一般社団法人「万延元年遣米使節子孫の会」の総会・講演会が、東京大学の伊藤国際学術センターにて開かれました。

「万延元年遣米使節子孫の会」http://1860-kenbei-shisetsu.org/

とは、その名の通り、幕末の万延元年(1860年)に徳川幕府が初めて派遣した遣米使節(総勢77名)の子孫たちが集まった会です。

 本連載の主人公である「開成をつくった男」佐野鼎も、この使節団の一員としてアメリカへ渡り、約9カ月かけて地球を一周していました。私自身は彼の傍系の縁者として子孫の会に参加し、会員の方々と交流しながら、さまざまな活動をしているわけなのです(私の母方が佐野家の本家筋で鼎は分家筋にあたります)。

徳川家茂から届けられた「国書」

 今回の講演会には、東京大学の横山伊徳教授をお招きし、『万延元年遣米使節ゆかりの品々から見えるもの 華盛頓(ワシントン)の文物は語る』と題して、江戸幕府からアメリカのブキャナン大統領に届けた条約書や国書、贈り物の数々、また帰国後に改めて贈られた謝礼品などについて詳しいお話を聞くことができました。

 豪華な装飾が施された馬の鞍や鐙(あぶみ)、柄杓、蒔絵の美しい火桶など、日米修好通商条約締結時に交わされた品々は、今もアメリカのナショナルアーカイブス(国立公文書館)やスミソニアン博物館などで大切に保管されているのです。

 私も3年前、「万延元年遣米使節子孫の会」の研修旅行でワシントンを訪れた折、ナショナルアーカイブスに入館し、将軍・徳川家茂から届けられた「国書」などを特別に見せていただいたことがありました。

 2017年に徳川宗家の蔵から発見されたという銀印「経文緯武」(http://www.tokugawa.ne.jp/201808ginnin.htm)が押された実物の書面を目の当たりにしたときは、思わず鳥肌が立ちましたね。幕末、外交の最先端にいた彼らの息遣いが伝わってくるような気がしました。