米が「神聖な食べ物」とされてきたのはなぜか

令和改元を機に考える「儀式と米」の深い関係

2019.05.10(Fri)佐藤 成美

肉食禁止を経て、米は聖なる食べ物に

 日本で稲作が始まったのは、縄文時代の終わりごろと考えられている。朝鮮半島を経由して稲作が伝わり、稲作文化が確立したのは弥生時代のことだ。それまで、木の実を集め、魚を獲り、動物を狩り、糧としていた。炭水化物を多く含む米はエネルギー源として優れている。収穫量が多いうえに、保存しておけるので主食としてうってつけである。

 こうして動物食から、米食を中心とする生活へと転換が行われた。米食を進めるためには、稲作を順調かつ円滑に行うことが必要だ。

 古代律令国家は、仏教で動物の殺生を禁じていることを利用して、期間つきで肉食を禁止し、稲作を進めた。日本書紀によると675(天武4)年に天武天皇が肉食を禁止した。その後も統治者は幾度となく肉食禁止令、殺生禁断例を出している。雨や干ばつが続いており農作業に影響が出るだろうから、肉食や殺生をやめて精進しろとか、農耕に役立つ牛や馬は食べてはならないといった具合に禁止令を出し、人々の食生活を制約するようになった。

 こうして何度も禁止令を出すことで、肉食禁忌が浸透し、次第に「米は聖なる食べ物、肉は穢れた食べ物」という観念が作られていった。江戸時代になると、米は税となり、経済における価値の基準にもなった。人々は「米は最上のもの、それに勝るものはない」と米を尊重するようになったのである。

 さらに、米は精霊や魂の宿るものとして信仰の対象になった。先の大黒天は穀物の神様として信仰されたが、江戸時代には豊かさの象徴として信仰を集めた。

世界でも、日本でも、米から文化が生まれる

秋には新米の恵みを享受する。

 稲はアジアを中心に世界各地で生産され、世界の人口の半分が米を主食にしている。野生の稲の起源は東南アジアなのか、アフリカなのかははっきりしない。最初に稲作を始めたのは中国人と考えられ、紀元前3000年ごろの中国には稲作の記録が残っている。中国の秦の始皇帝は堤を造り、水を好む米に適した灌漑法を開発した。

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