米が「神聖な食べ物」とされてきたのはなぜか

令和改元を機に考える「儀式と米」の深い関係

2019.05.10(Fri)佐藤 成美

 こうして稲の栽培技術が高まり、紀元後、稲作は東へ、西へと広がっていった。東方向には、フィリピンからインドネシアへと、西方向にはシルクロードを通じて稲が広まった。栽培方法も工夫され、米の調理法は多様化していった。

 イネは品種が多く、粘りや色、形、香り、味などが異なるさまざまな品種があり、地域の好みにあった品種が作られている。食べやすいように品種改良を始めたのはインド人のようである。ちなみに日本人が好むジャポニカ種の国際取引量は、5~6%程度である(USDA, Economic Research Service calculations; 2018)。

 中国や日本、東南アジアやインドは米文化の中心と見なされている。水田の中に神をまつる祠があったり、収穫の儀式が行われたり、稲作文化や米に対する気持ちは、東南アジアなど世界の国でも同様だ。各地にはさまざまな稲作の神様がいる。タイにおける米の女神Mae Posopやインドネシア・ジャワ島におけるDewi Sriはよく知られる。フィリピンの神話にはAmpu at Parayなどの米の神が登場する。

 ベトナム観光で有名な水上人形劇では、田植えや収穫のシンボルを取り入れている。インドの結婚式では新郎や新婦に大量の米がふりかけられる。このライスシャワーは、豊作や子孫繁栄、食べ物に困らないなどの意味があり、もともとは古代のアッシリアやヘブライ、エジプト人が行った儀式だった。このような米から生まれた文化は挙げたらきりがない。

 日本では稲作は3000年以上続く。皇室は初代の神武天皇から現在の天皇まで、126代継承され、世界でも類を見ない歴史の長さを誇るといわれている。古代から続く伝統の価値は変わらず、皇室では今もなお儀式を続けているのである。

 改元に沸くいま、稲作や米とともに続いてきた日本の歴史や文化について考えてみるいい機会かもしれない。

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