ハンブルガーSVでチームの中心選手として活躍する酒井高徳は自著で、幼少期のコンプレックスから得た「W」という考え方を提案した(写真:アフロ)

 ドイツ・ブンデスリーガで活躍する酒井高徳。日本代表として(サポートメンバーを含む)3回のワールドカップを経験している。その容姿は端正そのもので、いわゆる「イケメン」だ。しかし、彼が幼少期、そのことに大いに悩んだことはあまり知られていない。3月に刊行された初の自伝『W~人とは違う、それでいい』(編集注・ルビ:ダブル)では知られざる過去と、メッセージが記されている。以下はそのプロローグの一部だ。

『今では、日本でも、スポーツ界や芸能界だけでなく、ルーツが違う両親を持つ人たちが認められる社会になってきた。純粋にそれは嬉しい。しかし、「ハーフ」という代名詞が僕は好きにはなれない。僕は半分ではなく、ひとりの日本人であり、ひとりのドイツ人である。いうなれば「ダブル」だ。「外人」が「外国人」となったように「ハーフ」という呼び方にも変化が生まれてほしいなと僕は思う。』

 

 酒井高徳の幼少期とはどんなものだったのか。自身を「W(ダブル)」と言う、その原点を本書より紹介する。(JBpress)

 

(※)本稿は『W~人とはちがう、それでいい』(酒井高徳著、ワニブックス)の一部を抜粋・再編集したものです。

幼稚園にも学校にも行きたくなかった

「僕は家にいるよ。幼稚園、休む」
「どうして?」
「どうしても。幼稚園には行きたくない!」
「行かなくちゃいけないのよ」
「行かないよ。行きたくない」
「どうして?」

 幼少期の記憶。

 母に何度理由を聞かれても、その理由を言葉にすることはできない。ただ「行きたくない」と繰り返す僕に母は、困った顔を浮かべる。僕はどうしても、幼稚園に行くのが嫌だった。それでも、引っ張られるようにして、毎日幼稚園へ行くしかなかった。そして、たったひとり、迎えが来るのを待っていることしか僕にはできなかった。

「お前は毎日、『行きたくない』と泣き叫んでいたんだから」と大人になった僕に母は笑いながら話してくれる。泣き叫んでいた記憶はないが、幼稚園が嫌いだったことは今でも強く覚えている。

 そして、その理由も今なら説明できる。

 僕が他の子どもたちと違っていたからだ。髪の色は金色で、瞳の色は青い。どっからどう見ても、僕だけ違っていた。鏡を見れば一目瞭然だ。

「外人ってどういうこと?」

「ハーフってどういう意味?」

 幼稚園の子どもたちに投げかけられる言葉の意味を母に問うた。僕と同じ色の髪と瞳をした母の表情を曇らせるだけの質問だということも、子どもだった僕にはわからなかった。

 毎朝鏡を見て、誰とも「違う」ということを罪のように思い、閉鎖された社会(幼稚園)へと向かうしかなかった。

「どうして、僕だけ、みんなと違うの?」