銀座も、京都も、鎌倉も、今やどこもかしこも中国人観光客だらけである。世界第2位の経済大国に成長して、鼻息が荒い中国。片や日本経済は長いトンネルから抜け出せず、中国に押されっぱなしだ。夜の街でも日本のおじさんは元気をなくしているのだろうか? 日本有数のチャイナパブ激戦地、東京・上野で人気店を切り盛りしてきた美人ママに、日本の変化がどう映っているのかを聞いてみた。(西谷 格:フリーライター)
日本と中国を行ったり来たり
夜の上野を舞台に、8年間にわたりチャイナパブを経営してきた。日本人の父親と中国人の母親を持ち、東京都練馬区生まれの日中ハーフ。6年前に、それまで働いていた店から独立して「Ange(アンジュ)」をオープンした。
ママは1987年生まれの31歳。3歳のときに両親が中国福建省(母親の実家)へと戻り、16歳まで過ごした。その後は高校進学を機に日本へ渡ったが、言葉や習慣の違いから学校生活に馴染めず、再び中国へ。現地の高校と会計の専門学校を卒業し、日本に住み始めた。
そして23歳の頃に友人に誘われたことをきっかけに、チャイナパブで働き始めた。
「ちょうど東日本大震災の前ぐらいでした。人としゃべるのは好きだったので、接客の仕事には興味があったんです。当時のお客さんのなかには、今でも来てくれる人もいますよ」
会社の経費が使えない?
この8年間で感じるのは、日本人の羽振りが悪くなったこと。
「当時は10人近い団体でやって来て、会社の経費で飲む人がたくさんいました。でも、この2~3年でそういうお客さんはほとんどいなくなりましたね」