世界初となるブラックホールの撮影成功に世界が沸いた。その撮影で中心的な役割を果たしたのが、南米チリの望遠鏡「アルマ」だ。『スーパー望遠鏡「アルマ」の創造者たち』(日経BPコンサルティング)の著書である山根一眞氏が、今回の撮影でアルマが果たした役割と、快挙の礎(いしずえ)となった日本人天文学者の知られざる活躍を紹介する。山根氏による寄稿と、『スーパー望遠鏡「アルマ」の創造者たち』からの一部抜粋をあわせてお読みいただきたい。(JBpress)
ブラックホール撮影成功における「アルマ」の大貢献
ブラックホールの撮影成功で、中心的な役割を果たしたのが、南米チリ、アンデス山脈の海抜5000メートルに建設された「アルマ」。66台のパラボラアンテナを、1つの眼として観測する電波望遠鏡である。このワンセットを「干渉計」とも呼ぶ。日米欧が計画からおよそ30年かけて完成させた壮大な国際共同プロジェクトで、パラボラアンテナは欧米が各25台、日本が16台を製造した。目指したのは、「東京から大阪の1円玉が見える超高分解能」だ。各国それぞれの苦労があったが、日本でも無謀ともいえる挑戦、辛酸、そして歓喜のドラマがあった。
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今回の撮影は、世界の8カ所の電波望遠鏡を連携させ干渉計として、同時に観測したデータを重ね合わせて得た。その超高分解能の画像を得たからくりは、「開口合成法」と呼ばれる。実はアルマ自身も「開口合成法」による電波望遠鏡だ。66台のアンテナを自由に移動させることが可能なので、観測目的によってアンテナ群を山手線ほどの範囲に広げて点在させると、山手線のサイズのレンズをもった望遠鏡となる(このからくりを発明したイギリスの天文学者、マーティン・ライルは1974年にノーベル物理学賞を受賞している)。
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今回のブラックホール観測は、地球上の8つの電波望遠鏡を連携させて地球サイズのレンズを作り、行われた。つまり、アルマの超拡大版なのである。8つの電波望遠鏡が得た「数テラバイト」という膨大なデータをピッタリ重ね合わせるのは至難の技だったが、それらをもとにあの画像を描き出すことに成功。「月にあるゴルフボールが見える、視力300万」を実現し、観測不能と言われたブラックホールを捉えることに成功したのだ。
国立天文台の天文学者で広報担当の平松正顕(ひらまつまさあき)さんは、今回のブラックホールの観測では、アルマの全66台のアンテナのうち37台前後(観測日によって若干違う)を駆使したと伝えてきた。
「アルマの12メートルアンテナ37台を組み合わせると、集光面積としては直径70メートル強のアンテナに相当します。他の7カ所のアンテナが10〜30メートルであることを考えると、アルマは圧倒的な高感度です。これにより、ブラックホール観測全体の感度が向上したんです」(平松さん)
アルマ望遠鏡のディレクター、ショーン・ドウアティ氏も、次のように証言している。
「アルマ望遠鏡は、ミリ波を観測できる望遠鏡としては世界最大であり、今回のプロジェクトで非常に重要な位置を占めています。アルマ望遠鏡の感度が高いことで、他の望遠鏡のデータと結合させる際の高い精度を保証することができ、今回の素晴らしい成果につながったのです」
その37台には、日本の国立天文台が構想、三菱電機が製造した12メートルアンテナが含まれている。そのことはまったく報道されなかったが、数多くの天文学者、設計・製造を担当した三菱電機、そして多くの町工場の技術者たちの血のにじむような努力があったからこそ、ブラックホールの観測という天文学史上の栄光を手にできたことを忘れないでほしい。