「質問」で話題を引き寄せる

 もうひとつ。若い人からできるアプローチを紹介しておきたい。冒頭で、私は年配の人の話を聞くのが好きだ、と述べた。同世代はみんな逃げ出す中で、私はなぜ年配の方の話を何時間でも楽しめるのだろう? 考えてみると、ひとつ、大きな違いがあることに気がついた。「質問する」ことだ。

 あるワークショップに参加したところ、比較的年配者が多い中で、大学生が一人、同じ机に座った。この学生さん、他の参加者が積極的に発言する中で、一人無言。

「何か話しなよ」と私が促すと、「とんでもない、私は勉強不足で、皆さんみたいに自分から話せるものは何もない」と学生は恐縮しきり。そこで私は次のように伝えた。「若い人の特権がひとつあるよ。それは、当たり前のように思われていることでも『分からない』と質問することだ」。

 すると、その学生は「実は、皆さんにとっては当然なのかもしれないけれど、よく分からないことがあって」と前置きしながら質問してきた。それが、年配者全員の虚を突くような内容だった。「それはね、こういうことなんだよ」と当然そうに説明する人がいても「いや、その解釈はおかしい」と反論する人もいて、「そうか、そこ、考えてみると当然視するのはおかしいね!ここ、もう少し掘り下げよう!」議論が白熱した。以後、若い人が「当然」なことに質問をぶつけるたびに、振り出しに戻って考えるという実に面白い経験をした。

 年配者は、超能力者ではない。若い人に関心を持ってもらえる話題を探そうにも、黙っておられたのでは適当に話すしかない。すると、ついつい自分が話したい話題になってしまう。つまり、自慢話。自分がいかに艱難辛苦を乗り越えてきたか、という英雄譚を盛りたくなる。

 そこで私は、自分より年配の方の話を聞くときは、質問することにしている。「実は、こういうことに悩んでいて」。すると、突然話を振られた年配の方は、「う~ん、そうだなあ、それ、つらいよなあ」とウンウン悩みながら、ひとつ、またひとつと、言葉を紡いでくれる。何か参考になることはないかと、探しながら。私は、自分の聞きたい話題だから、関心を持って聞くことができる。自慢話に移りかけて、自分が興味持てそうにない話題になりそうだったら、「すみません、実はもう1個、悩んでいることがあるんですけど」と質問して、話題を変えてしまう。すると、またウンウン悩みながら答えてくれる。「そんなことも分からないの?」という人もいるが、「そんなことも分からないんです。だから分かるように説明してください」と質問すると、結構みなさん、真剣に悩みながら、話してくれる。それが結構面白い。

 年配者は、若い人の悩みに寄り添い、少しでも参考になりそうな話をしてみること。若い人は、自分の関心の強い話題を、質問としてぶつけること。互いにそうして歩み寄ることで、年配者は経験から育まれた知恵を若い人に伝え、若い人は自分の不安を和らげる方法を見出すことができる。

「若い人はマジメな話をしたがらない」という「誤解」が結構信じられているが、そんなことはない。若い人は、自分の知らない世界が広すぎて、不安で仕方ない。だから、ヒントになる話をいつも聞きたがっている。ただ、自慢話や知識のひけらかしは聞きたくないだけなのだ。

 自分と同じように不安を抱いている、あるいは抱いたことがある、という話題には、若い人は「えっ・・・」と目を向ける。年配者の方は、若い人と同じ地平に立ち戻り、不安、悩みをもう一度擬似体験しながら、手探りで進んでいく様子を話してみよう。若い人も、意識的にそうした話題を質問してみよう。年寄りは誰もが、ダテに年はとっていないことに気がつくだろう。