若い人の悩みに寄り添う話し方

 こうして、若い人がどんな「お説教」が好きなのかを言語化できた私は、以後、意識的に若い人たちの悩みに寄り添う話題を心がけるようになった。そのとき、気をつけるようにしたのは、「これが答えだよ」という上から目線の話にならないようにすることだ。

 アニメやマンガで、若い主人公の心に染み入る話をしてくれる老人が登場することがある。その場合、どんな話し方をするかというと、「若い人の参考になるかどうか分からないが」と、どう参考にするかは若い人にゲタを預ける形にしていることが多い。こうすると、提供された話題が自分の悩みと必ずしも一致していなくても、ゲタを預けられているから、若い人は自分で考えようとする。この「能動性」が、話を聞く姿勢を生むのだろう。

「いろんな話はしてやれても、結局は、あなたが本当のところ、何を悩んでいるのかは分からない。何かひとつでも役立てばと思って話をするけれども、見当違いの話ばかりだとしたら、許してほしい」

 そんな心構えで話すと、若い人は大概、首を振りながら、話を聞いてくれる。いまの自分はそれで悩んでいなくても、もしかしたら近い将来、同じ悩みを抱くようになるかもしれない。なら、いま聞いておいて、将来の参考にしよう、と考えるかららしい。

 もうひとつ、気をつけていることがある。「かっこいい話はしない」ということだ。

 若い人は、自分がこれからどんな人生を歩むことになるのか、不安で一杯だ。周囲には格好をつけていても、本当にこれでよかったのだろうか? と、不安を常に抱えている。年をとった私たちも、かつてはそうだったはずだ。

 ところが年をとるとついつい、話を盛ってしまうことがある。こんな艱難辛苦が襲ってきたが、自分は勇敢にそれに立ち向かい、克服してきた、だから君も私のようになりなさい、という、どこかの冒険物語の主人公にでもなったような、自慢話になってしまうのだ。