「失敗」こそが能動的な学びを引き起こす。

(篠原 信:農業研究者)

 阪神大震災でボランティアに来ていた女子学生がいた。

 左手を絆創膏だらけにして、「こんなことなら、お母さんに料理を習っとくんだった」と、泣きながら、しかし必死になって、被災者の方たちのために料理を作っていた。ボランティアに来るまで、包丁を握ったことがほとんどなかったのだという。絆創膏は、包丁の扱いを誤って血だらけになった証だった。

 しかし私は、この経験は決して無駄にならないと思った。

「きっとこの女性は、これから必死になって料理を習い、覚えようとするだろう」

「分かりやすい」は定着しない

 私は塾で子どもを指導していたとき、正解をいかに分かりやすく説明するかに腐心していた。私自身、物分りの悪い子どもだったので、理解力の乏しい子どもにも噛み砕いて説明することには自信があった。実際、子どもたちは「すごくよく分かった! どうしていままでこんな風に教えてくれなかったんだろう!」と、深く感動してくれた。私はずいぶん得意に思ったものだ。

 ところが、翌日になると見事に忘れている。あれほど感心し、その場で本人もきちんと解いてみせたから、もうできるようになったはずなのに。本人に聞くと、「すごくよく分かったと感動したことは覚えている」という。しかし、何が分かったのかはちっとも憶えていない。仕方なく、もう一度教えると、「ああ、それね、分かった、分かった。思い出した。もう大丈夫だよ」という。

 しかしまた翌日になると、きれいさっぱり忘れている。「分かったような気がしたんだけどねー」。・・・エンドレス。ちっとも覚えてくれやしない。私の教え方は、本当によく理解できるらしく、その場ではできるのに、翌日になるときれいに忘れてしまう。

 記憶力が弱いのか? いや、そうでもない。大好きなマンガのシーンは、一読しただけで「あ、あれね!」と、セリフを正確に再現したりする。何がまずいのだろう?