「君がそう思うなら、そこを読んでごらん」

 やった、アタリがついたと喜んで読んでみたら、まったく見当外れの場所。腹を立て、

「ねえ! 少しくらい教えてくれたっていいでしょ! ケチ!」

 私はまっすぐ子どもと向き合い、「大丈夫、君ならきっと見つけられる。教科書を最初から眺めて、探してごらん」。

「わ! か! ら! な! い! って、言ってるのに!」とかんしゃくを起こし、子どもによっては、ワンワン泣き始める。

 少し落ち着いたところで、私は「大丈夫、君ならきっと分かる。教科書を読んでごらん」と励ます。

「はあああ!」深ーく、これ見よがしなため息。本当にこの人は教えてくれないんだ、とほとんどヤケになって、教科書を嫌そうにめくり始める。すると、問題とよく似た記述が目に入る。

「先生、ここ、似てる」

「そうか、よく気づいたね。よく読んでから、問題を解いてごらん」

 文章を読んで理解する、ということ自体をやったことがない子どもだから、読むのにもえらく時間がかかる。私は新聞を読みながら、横目でその様子を見守る。

 やがて解いてみる。「先生、これ」。

 マル。

「よく自分だけの力で頑張ったな」

 とたんに有頂天。「ここ、似てると思ったんだよね!」。大興奮。なにせ、先生の力を借りず、全部自分の力で教科書を読み、理解し、解けたのだから。生まれて初めて。

「よし、その調子でほかのも解いてごらん」というと、「うん!」と、勢いよく返事する。こうなると、その子どもは自主的に学びだす。たまに私がわざと「あ、それはね」と教えようとするとひどく嫌がり、「教えないで! 自分で考えるから!」と、慌てて拒否する。教えてもらうことは、意地悪されることに意味が変わってしまったからだ。