今年のノーベル医学・生理学賞決定の記者会見の場で、本庶佑(ほんじょ・たすく)氏が放った発言「教科書に書いてあることを信じない」に、我が意を得たりと思った人は多いのではないだろうか。
何しろ、教科書に恨みを持っている人は多い。「なんであんなつまらない知識を憶えなきゃいけないんだよ」と、受験勉強のことを呪ったりする言葉を私は何度も聞いた。
「いまやネットでありとあらゆる知識を検索できる時代。知識なんかなくてもよいのだ」ということを、いろんな人から何度も聞いたことがある。
最近だと、「これからは人工知能の時代。人工知能がまねできない、創造性こそが求められる。教科書丸暗記なんて役に立たない。知識の量ではなく、創造性なのだ」という言葉も、何度か聞いた。
私も若い頃は、「教科書なんかクソッタレ!」というシュプレヒコールに同調したくなったことがしばしばだが、今では「もったいない」と思うようになった。というのも、教科書はイノベーションの宝庫だと考えるからだ。
教科書の裏にある「暗黙の前提」
こんな話がある。
水素を燃やして走る燃料電池車というクルマが現在、熱心に研究されているのだけれど、そのためには水素を安全に大量に貯められる貯蔵タンクが必要。けれど、水素には厄介な性質がある。金属に染みこんで外に出ていってしまうほど、水素は小さいのだ。しかも、水素が金属に染み込んで、金属をもろくしてしまう「水素脆化(ぜいか)」という現象が起きて、固い金属のタンクであってもしばらくすると強度を失ってしまうのだという。この水素脆化という現象は、金属の研究者からすれば常識で、いわば教科書的な知識だったらしい。