アナーキーだった90年代広東省

 現地の文献『台山下川島志』(1997年、広東人民出版社)によると、下川島の存在が中国の地理書にはじめて登場したのは元王朝時代の1304年のことだという。

 やがて明の時代から徐々に人が暮らしはじめ、その後は海賊(倭寇)の根拠地になったり、清や中華民国の兵隊が駐屯したり日本軍に侵略されたり、人民公社が設立されて文化大革命が荒れ狂ったりと、中国南部の田舎の島にありがちな歴史を重ねていった。

 それが大きく変わるのは、鄧小平のもとで改革開放政策がスタートしてからだ。1985年に島内南部の王府洲にリゾート開発計画が持ち上がり、これが1991年ごろから本格化してホテルや別荘が建ちはじめるようになる。

 中国全体がまだ貧しくてアナーキーだった当時、最初は島をマカオのようなカジノリゾートにする計画もあったようだが、さすがに社会主義国家の中国でそれはマズいということで頓挫。結局、いつしか売春産業が発達していき、島では性的なサービスをおこなうサウナやカラオケ店、置屋などが多数開業しはじめる。大部分のホテルでも施設内で公然と女性を抱えているという、ものすごい島が出来上がってしまった。

 広東省はゼロ年代前半ごろまで北京の中央政府による統制がゆるく、「先進地域」である香港や台湾、海外華僑らをターゲットにした賭博や売春で外貨を稼ぐ産業が花盛りだった。いわんや、中央政府どころか広東省政府の目すら届きにくい辺境の下川島では、それが特に極端におこなわれたようなのである。

台湾のスケベおっさんのパラダイス

 1990年代終わりごろから、下川島は台湾人のおっさんたちによって「開拓」されていった。すなわち、企業家や駐在員など中国大陸に一時居住している人だけではなく、女性を目的にわざわざ台湾から島にやってくる人が出はじめたのだ。

 以下、2001年に台湾の週刊誌『壹週刊』第10号が巻頭で特集した、「大陸直擊台湾男人蜂擁荒淫島」という物凄いタイトルの記事の一部を翻訳して紹介しよう。