王府洲度假区(休暇村)内のビーチでは、ビール腹を突き出して少女の手を引いて歩いている中年男性をどこでも見ることができる。なかには白髪頭の「祖父と孫」のような組み合わせも少なくなく、特に人目を引く。
 (記者と)同じツアー団の簡さんはすでに御年68歳、顔と手には老人斑が浮かぶ。彼は20歳ほどの四川省出身の女性の手を引いてビーチをゆっくり歩き「若いのはいいぞ」と、前歯がすべて抜けた口を開けて上機嫌で大笑いした。
 簡さんが言うには「ここの女性は純朴で騙してこないよ。数百元をあげれば何でもできるし、ときには2~3人を全部連れ出して、一緒に食事をして眠っても、1000元もかからないんだ」
 
2001年当時、ホテルの前で客を待っていた下川島の女性たち。『壹週刊』がウェブに再掲した当時の記事より

 記事中には、国共内戦の生き残りである中華民国陸軍の元将校の80代の老人が17歳の中国人少女の手を引いて歩いていた──、といったエゲつない話もある。想像するとグロテスクな光景だが、現在から17年前の話であり、当事者たちもすでに逝去している可能性が高いので、過去のひとつのエピソードとして読むべきだろう

 なお『壹週刊』によると、2001年当時の下川島で働いていた女性たちの約7割は湖南省出身で、次が四川省出身と、中国内陸部の貧しい地域の出身者たちが多くを占めていた。当時の台湾国内には下川島ツアーを専門に取り扱う旅行会社が30社以上も存在し、毎日300人以上の台湾人男性が下川島に上陸。彼らの遊び代は「イッパツ」が200元(現在のレートでは約3200円)、女性と24時間一緒にいて400元だったとのことである。

日本人客も大量に行っていた!

 その後、下川島はゼロ年代後半から日本でも一部で有名になり、日本人客も少なからず来島したらしい。2010年8月21日付の香港紙『東方日報』は、同年秋の広州アジア大会を控えた広東省中心部の売買春摘発政策を受けて、広州・東莞・深圳あたりで性産業に従事していた女性が下川島に流れ込んでいると報じるなかで、現地の様子をこのように書いている。

 台山の上川島・下川島はかねてからずっと台湾と日本のセックスツーリストの天国であり、毎日島にやってくる台湾や日本の旅行客は100人を下らず、フェリーから下船するやすぐにグループを作ってお楽しみを探しに出かける。
 現地で性産業に従事する女性いわく「女性を目的に島に来るのは中年の台湾人男性が最も多く、それに日本人客が次ぎ、香港人はここしばらく減っている。ただ、いちばんスケベなのは日本人客だ」という。
 言葉が通じないことから、日本人客は気に入った女性がいるとすぐにたどたどしい中国語で「ヅオアイ、ヅオアイ」(注:性行為を意味する中国語)と話し、それから会話帳を取り出して専門用語を指差し、料金の条件を交渉するという、非常に手慣れた行動をおこなう。

 

 こちらの記事によると、公安が捜査に来たときはフェリーに乗る時点で分かるので、下川島の女性たちや性産業経営者たちはガサ入れがあっても誰も摘発されないのだという。地元島民は紙上で「島全体がこれ(=性産業)でメシを食っている。警察は島民全員を捕まえるなんて無理だろう」ともコメントしていた。

2009年、下川島を紹介していた日本の海外エロ情報ガイドブック『香港マカオ夜遊びMAX』(オークラ出版)。国会図書館でコピーを取るときに受付のお姉さんの視線が痛かった