まだ19とか20歳の若い東独兵が、なぜ自国の同胞が亡命するのを銃で撃たなければならないかといった、当時の懊悩については、別の回に記したいと思います。
国境を警備していたのソ連兵も含め、みな20歳前後の若者で、命令に従って引き金を引き、十字架が立つことになりました。
また、壁崩壊直前の末期には、国境に詰めかけた莫大な数の民衆の前に、こうした警備兵は実際は子供ですから、完全に物怖じして引き金が引けなくなってしまいました。
最後は勇み足的な政府発表から、押しかけた人の波がついに壁をよじ登り、次いでこのコンクリートの塊をぶち壊し、ついには「東西冷戦構造」そのものが崩壊、ソビエト連邦という超大国の生命をも断つことになりました。
たった1つの都市、1か所の壁が壊れることで、世界史が動く現場を、私は大学在学中でしたが、はっきりと目に焼きつけることになりました。
「ベルリンの壁が崩壊した」ではないのです。
無数の群衆が国境に押しかけ、よじ登り、ハンマーや重機でぶっ壊して自由社会への出口を切り開いたのにほかなりません。
東ドイツで軍やスタージ、秘密警察に勤務していた人の証言を見ると、全体主義体制下で命令に抗うことができない苦悩が随所にあふれています。
日本では「北の工作員」などというと冷血極まりない悪魔の印象が、マスコミ的には流布されるかと思いますが、実際にはそんな簡単なものでは絶対にないでしょう。
同じ誤解は日本もずっと受け続けています。