ベルリンの壁資料館には、旧東西ベルリン国境(それがまさに「壁」だったわけですが)で亡くなった人の分布を示す図が掲示されていて、これで状況がよく分かりました。

 旧東西ベルリンの市内中心街に夥しい十字架マークが集中しているのが分かると思います。

 かつて18歳の私も、ブラデンブルク門の壁の紛ったあたりに、山のように立っている十字架を見て恐怖したものでした。その真ん中に、四角く突き出たツノのようなエリアがあるのが分かると思います。

「陸の孤島」西ベルリンの境界と、その随所に分布する「十字架マーク」。市の中心部でツノのように突き出た「十字架のないエリア」に、「忘れられたベルリンの壁」は残っていた。

 この四角の右下の角が「ベルリン北駅」そして左右に延びる四角の上の辺が、今回再発見された「壁」の一部だったことが分かります。

かつては夥しい十字架が立っていた・・・ブランデンブルク門前の折れ曲がった壁の跡

 よく、ベルリンの壁というと、国境線に添って一枚の壁が東西を隔てていたようなイメージを持たれる場合がありますが、南北朝鮮を隔てる「38度線」同様、実際には真空地帯というべきエリアがあります。

 そこを走って逃れようとする難民に、容赦なく銃口が向けられ、多数の十字架が立つことになりました。

 占領地域だったので当然ながらベルリン市内の国境はソ連兵が警備していましたが、東ドイツ国内と西ベルリンを隔てた「その他の地域」の国境は、東ドイツ兵が警備していました。