原爆資料館での修学旅行生の感想として「落ちたのが公園で良かったですね」というものがあると報道で目にしました。
被爆者が「食べるものがなかった」と語るのに対して「コンビニに行ったらよかったのに」
と真面目に心配する子供、特に問題と思ったのは、それが被爆の町で生まれ育った子供であるケースが増えているらしい。他の地域であればまだしも・・・。
さらには沖縄で、集団自決の洞窟の慰霊品を「肝試し?」で破壊する少年事犯の報道などもありました。
もう記憶の風化という言葉でカバーできる範囲ではなく、言語道断としか言いようがありません。
あと何十年かすると「原爆は落ちなかった」「陰謀のストーリー」などと言う盲言すら出て来るのではないかと正味で心配になります(実際、私は米国でその種の「意見」を直接耳にしたことがあります)。
そうした「伝承」の危うさを「盆踊り」に即して具体的に考えてみたいと思います。
作られた「民謡」
例えば、盆踊りと呼ばれるものが全国各地にありますが、これを「伝統」とか「民謡」と誤解していませんか?
今年の夏、私が撰者を務めた「秩父音頭」も、地元に伝わる「皆野の盆踊り」というものを原型にしていますが、その実は似ても似つかないものであったことがハッキリしています。
かつて、日本全国に自然発生的に存在していた「盆踊り」は、多くが「夜這い」のための「出会い系」イベントで、その原点は万葉集などの歌垣に求められる、などとも指摘される、古い根を持つものでした。
端的に言って、目的は「ナンパ」ですから、踊りなどは二の次、今日の若者習俗でも、形を変えてそういうものは存在していることでしょう。
およそPTAや商店会が推奨するような代物ではなく、秩父音頭も戦後の昭和25年、学校行事に取り入れられた当初は「あんな風紀の悪いダンス、とんでもない!」と猛反対があったのを、昭和一桁でお元気な方はよく覚えておられます。