今年もまた「8月15日」を迎える。年中行事化しているとはいえ、この時期に「先の大戦」について考えることは、けっして無意味なことではない。
とはいえ、「1945年8月15日」にすべてがリセットされたわけではない。「ポツダム宣言」を受諾したのが8月14日、「玉音放送」によって「終戦の詔勅」が国民に伝えられたのが8月15日であり、日本政府が「降伏文書」に署名し、戦争が終結したのは9月2日のことだ。だから、本当は9月2日が「終戦記念日」のはずなのだ。だが、「8月15日」の戦没者慰霊が真夏の旧盆の時期にぴったり重なることもあり、日本人は疑問を感じることもなく受け入れてきたのであろう。
意外と知られていない事実がある。無条件降伏が適用されたのは帝国陸海軍についてであって、軍隊は解体されたが、国家自体が崩壊したわけではないという事実だ。1945年8月15日以降も「大日本帝国憲法」は廃止されることはなく、1947年3月31日閉会の第92回議会まで「帝国議会」も開かれていた。
占領下で「日本国憲法」が制定され、「帝国議会」が「国会」に変わったのは1947年5月3日のことだ。敗戦によって海外植民地をすべて失った結果、帝国としての実体は消滅したものの、米国を中心とした戦勝国による間接統治下でも、「大日本帝国」はその時点まで名目的に生き続けていたことになる。
そんな大日本帝国が消滅してから70年以上たった現在でも、ひょんなことから大日本帝国に遭遇して驚かされることもある。今回は、そんな個人的な体験を踏まえながら、「先の大戦」すなわち「大東亜戦争」とその後の複雑な歴史について、かつて「ビルマ」と呼ばれていたミャンマーを舞台に考えてみたい。
「高原の水上リゾート」で「大日本帝国」に遭遇
ミャンマーにインレー湖という湖がある(冒頭の写真)。ミャンマー中部のシャン丘陵に位置する高原の湖だ。
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