軍票とは、戦時に占領地で使用された特殊な紙幣のことだ。占領地での食料や軍需品の調達のために占領軍が占領地に持ち込んだ紙幣であり、本国でのインフレを回避するため、本国経済と占領地経済を分離するために使用された。ビルマでは、1942年に現地を占領して軍政を敷いた帝国陸軍が、軍票を持ち込んだ。
アウンサン将軍は、英国からの独立を主導した「ビルマ独立の父」である。非暴力主義を貫いた民主化リーダーで、現在の国家顧問兼外相のアウンサンスーチー氏はその一人娘だ。父親の名前が織り込まれているのであり、スーチー氏と略してはいけないのだ。
日本軍が占領するまで、ビルマは英国の植民地であった。ビルマは英国にとって、植民地インドへの食糧供給と燃料供給基地として位置づけられていた。
アウンサンと坂本龍馬の共通点
アウンサンたちの独立運動と、英国をビルマから駆逐したい日本軍の利害は、当初は一致した。対ビルマ謀略工作を進めていた日本の特務機関「南機関」の機関長、鈴木敬司大佐は、アウンサンら30人の「ビルマ独立運動の志士たち」を英国官憲の目をかいくぐって密出国させ、中国南部の海南島で厳しい軍事訓練を行った。
こうして訓練を受けたアウンサンをリーダーとする「ビルマ独立義勇軍」が、首都ラングーン(現在のヤンゴン)に進軍、英国植民地軍に打ち勝った。
だが、対英領インド作戦の前線基地としてビルマを支配下に置く意向を持っていた帝国陸軍当局は、ただちに独立は認めなかった。アウンサンたちの夢は踏みにじられたのである。ビルマには軍政が敷かれ、軍票が発行されることになった。
「インパール作戦」の失敗などにより日本の敗色が濃くなった1945年3月、ビルマ独立を目指していたアウンサンたちは、日本軍に対して反旗を翻した。日本に対して愛憎半ばする思いがあったのである。
その後、英軍が再びラングーンを奪還、さまざまな経緯を経たのちに、1947年ビルマ独立に関する協定がアウンサンと英国との間で結ばれた。だが、独立に向けて準備をしていたその真っただ中に、アウンサンは政敵の放った刺客によって暗殺されてしまう。
「ビルマ独立の志士」アウンサン将軍が凶弾に倒れたのはなんと32歳。ちなみに「幕末の志士」坂本龍馬が京都で斬殺されたのは33歳だった。早すぎる死が惜しまれるのは、ともに大きな志をもちながら、若くして非業の死を遂げたからである。
アウンサンの死は、独立ビルマにとって大きな痛手となった。英国もまた、アウンサンがいたからこそ、安心して独立を承認したのである。アウンサンには、多民族国家をまとめあげ、新生国家を率いていけるだけの力量とカリスマがあると評価していた。もちろん、英国はビルマ独立後も影響力を維持することを意図していた。