この流域開発によって、日本人は富を生む新しい土地を得た。しかし、この土地の下に住んでいる旧河道のヤマタノオロチは危険極まりなかった。洪水で水位が上昇すると、堤防のどこで水が噴き出るか分からない。水が噴き出せば堤防の土は流出し、一気に堤防は破堤していく。

 富を守るための戦いが始まった。洪水から自分たちの田畑や住居を守る戦いであった。足元に眠るヤマタノオロチとの戦いであった。

 治水は江戸時代の日本の宿命となった。

沖積平野の上に形成された近代文明

 幕末、欧米列国が鎖国する日本に迫った。その圧力に押され日本は開国し、富国強兵の旗印の下に、近代国家に変身しなければならなかった。水産加工から繊維産業そして重化学工業へと近代産業が発展していった。近代工業の勃興と発展には、広い土地と労働力が必要であった。

 原料の輸入と製品の輸出に頼る工場は、海に近い沖積平野に建設されていった。工場に全国から人々が集められ、沖積平野は住宅地がスプロール的に増殖していった。

 日本人はこの都市に集中して力を合わせ、日本を世界最先端の近代国家に変身させていった。ところが、日本の社会制度や産業経済は近代化したが、日本列島の地形は変わったわけではない。沖積平野にスプロール的に展開された都市は、極めて危険な洪水にさらされることとなった。日本の近代文明は極めて脆弱な沖積平野の上に形成されてしまった。

 図7で日本の国土利用状況を示した。中央の棒グラフは日本の国土で、67%が山地、20%が安全な台地。10%が洪水が氾濫する沖積平野などの低平地である。その10%の低平地に50%の人口が集中し、75%の資産が集中してしまった。

図7 日本の国土利用状況

 沖積平野は、危うい堤防で守られていて、どの堤防の下にも旧河道という大蛇が住み着いている。旧河道のどこから水が噴き出すか分からない。日本中のほとんどの堤防は江戸時代に造られた。その堤防は人力で造られた貧弱な堤防であった。

近代日本の治水の宿命

 明治、大正そして戦後の昭和にかけて、急激に発達した日本各地の都市を、毎年のように洪水が襲った。何百人、何千人の単位で、日本人の命は木の葉のように奪われていった。

 国と地方行政は、限られた予算の中で、懸命に堤防を強化した。遊水池を造り、上流でダムを建設し、水害を防ぐ努力をした。20世紀末になると、ダムはムダ、公共事業はムダ、という声が上がり、もう洪水に対する危険は去ったかのような風潮が広まっていった。