江戸時代に増加した「富を生む」土地

 何条もの川を堤防に押し込めた目的は、はっきりしている。川が乱れ流れる不毛な湿地帯を、農耕地にすることであった。川を堤防の中に制御できれば、農耕地が生れ、富を拡大することができる。

 図5は、徳島県の一級河川、那賀川の平面図である。中央の2本の太い線が堤防で、現在の那賀川を表わしている。その周辺に見える幾条もの線は、かつて川が乱流していた旧河道である。今では地下に隠れて目で見ることはできないが、間違いなく旧河道のヤマタノオロチは足元に住んでいる。

図5 那賀川流域 旧河道再現図
出典:四国地方整備局
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 この姿は那賀川だけの特別なものではない。江戸時代、全国の沖積平野でこのように堤防が築かれ、何条にも暴れる河川を、堤防の中に押し込んでいく作業が行われていった。

 この江戸時代の流域開発によって、日本の耕地は一気に増加した。各地の米の生産高は上昇し、それに伴って日本人口は1000万人から3000万人に増加していった。そのことを図6が表わしている。

図6 耕地面積と人口の変遷〔平安~江戸時代〕
データ出展:鬼頭 宏「日本二千年の人口史」(PHP研究所)、農業土木歴史研究会「大地への刻印」(全国土地改良事業団体連合会 編著)
図:竹村、松野

 この図6を見ると、平安から鎌倉、室町そして戦国時代にかけて、日本の耕地面積は横ばいであり、増加していない。ところが、江戸になると一気に耕地面積が増加している。流域に封じられた大名たちが、堤防を築造し、河川を堤防に押し込めることで、耕地の増加を実現したことが分かる。